29. April 08

笙野頼子・おんたこ三部作|最近のオレが弾く

笙野頼子の完結したおんたこ三部作、読みました。
『だいにっほん、おんたこめいわく記』
『だいにっほん、ろんちくおげれつ記』
『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』
いずれも講談社です。
(講談社、思わず首をかしげてしまうような変な本もたくさん作ってますが
こういう本も作れるからさすがです)

げんだいしそーでよろい、せいよーのえらいさんのことばを
都合良く誤用して自己を正当化し
うれるものがアートだといいくるめてロリコン二次元メディアを主要輸出産業にし
責任のない少女になりたい願望でいっぱいの
名誉少女たち(しかも大半はオヤジのコスプレ)が支配する
「だいにっほん」のーてんきでスーパーフラットなロリコン文化を根底から覆そうとする、
成熟を嫌う文化の中で沈黙を強いられてしかるべき場所を奪われた
成熟した女の力強い祈る身体(声)、踊る身体(声)、語る身体(声)を
取り戻そうとする語る女の物語。

著者自身が「こんなひどい場面は書きたくない」とためらうこともあったという
グロテスクなロリコン遊郭の場面も
「おんたこ」言説のプロトタイプを解読不能な現代詩に託して一世を風靡した
ロリコンネオリベラリストで2次元ヲタクの論客がこわれてゆく場面も凄絶。
憤死した少女たちの魂が天に帰る祭りを描く幕切れも圧倒的。
「おんたこ」言説(ろりりべオヤジ)に抵抗する「みたこ」教団の巫女たちの
バッコスの信女たちめく祭り、
「仏教とキリスト教を融合するのだ」と説く「みたこ」の大巫女の語り。

怒りを歌え巫女よ!

これが体当たりでできるのはもう彼女しかいない。

こんな怒りの物語なら大歓迎です。
もう、おぶんがくの世界のロリコン的傾向や
おんなのこのおまたとあたまのゆるさを装った文章や
傷つきやすい少女的感受性とやらのするどさを
型にはまったかたちで売りに出すものをよしとするらしき風潮や
そんなこんなにうんざりしていたので
実にすかっとしました。
ともかく、『アマノン国往還記』アヴァンポップバージョンともいうべき
『水晶内制度』からずずずいっと先に進んでます。
(『水晶内制度』のウラミズモが実は老獪で陰湿な外交政策を展開して
だいにっほんをどんどん浸食している…というところが笑えました)

文体のリズムが魅力的だから3冊ずいっと読めます。
女シャーマンのトーキング・ドラムのような怒り藝、罵倒藝。
とことんグロテスクな世界のはずなのですが、
ユーモアと炎のような純真さも盛られているので
いやだとは感じませんでした。
むしろ溜飲が下がるような場面も…。

「火星人」として排斥されてきたみたこ教信徒・抵抗者の家族である
第3部の主人公(18歳女性)が 父=師匠から教えられた
「火星人落語」の再興を目指して演説する場面、
おもわず胸が熱くなりました。

…火星人には歴史がないといわれている、
だけれど、みんなが体験したことを語ってゆかなければ
歴史も物語もできない
支配的抑圧的な価値観にめいわくをかけられたならめいわく記を
おげれつに悩んだならばおげれつ記を
あんなもんしんじまえと思ったらしんでけ録を書けばいい
語らないとはじまらない

という内容を祭りの輪のなかで
「俺」口調で語ります。

あの怒りは私もたしかに共有しているもの、
なにかと励まされる作品でした。

しかも作者と同名の作家の語りがときどきこんぴらさまになっている…。

宗教史家兼詩人としては、この作品についてもっと語るべきこと、語れることがいろいろあると思います。
批評を書けるようにしておきたいです。


えうほいえうほい

ヒューイットの平均律、二日目も見てきました。
後半が特にすばらしかった。自由自在でふところが深い。
さすがでした。
彼女の演奏会はまた聴きに行くでしょう。

ハフの新譜(モーツァルト)、かんぺきです。
モツっつあんご本人の作品はもちろん、
シャイな英国男子らしさが全開のハフ先生ご本人の作品も、
リスト《フィガロ・ファンタジー》もサイコーです。

自分では最近歌を歌ったりピアノを弾いたりは細々続けています。
ピアノの置いてある部屋が冬は寒いのでなかなか手を出せずにいた
バラ3、舟歌、意外に弾けるではないですか。ニヤリ
しかし私が弾くと両方とも落語になるのはどうしてでしょう。

アブルケル《ジュテーム》の楽譜が届いたので歌ってみました。
High Cがきちっと当たれば意外にムリがない?
フランス語が第一言語の人が書いた曲ならではの
チャーミングでからっと乾いたふられ女の怒りと悲しみの表現。

日本のふられ女の歌だったら着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んだり
もしもあたしがしんだらあなたないてくれますかで雪国に傷心旅行ですよ。
ったくそういうじめじめしたのやなんだよ、
いつまでもじめじめしてたらいきてけないでしょうが、すっとこどっこい。

なので、《ジュテーム》は非常に気に入りました。
時間をみつけて練習します…。

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13. August 07

パウンド先生ご真影

アンリ=カルティエ・ブレッソン展、最終日の午後に行ってきました。

エズラ・パウンドのご真影が神々しかったです。

やあケフコ、いい詩書いてるか?
おまえニシワキを知っているよな?
良い詩を書けよ!

と語りかけるような表情でした。

おもわず手を合わせたことはいうまでもありません。

それはともかく。
今回の展覧会は世界巡回中で、日本では近美だけの開催だそうです。最終日の夕方で混んでましたが、美術館涼しいし、いやなこみかたではありませんでした。学生さん多し。図録は売り切れだったので予約しました。

アメリカとソヴィエトのシークエンスが印象に残りました。イデオロギーの書き割りのなかに生きている生身の人間をユーモアと哀しみと共苦とをもって描き出す視線を感じました。移民船の到着、ソヴィエトの父と子と怪しい支配者像、陋巷のGod Bless AmericaやJesus Comes Soonなどに胸を打たれるものがありました。

中国や中東や日本やインドの写真はしばしばなんだか格好良すぎて気恥ずかしかったです。

組み写真を解体してひとつの独立した作品として展示していた作品もかなりあるよと既に行った人からきいてましたが、むむ、御意。ヨーロッパ篇冒頭のデッサウの写真が組写真なのは実は後半の雑誌篇のところでわかるのです。あれはやっぱり4枚一組で見たかった。ソヴィエトの写真も実は連作になっていることが、雑誌篇のところではじめてわかります。連作性の強い短歌を無理無理に独立した作品として鑑賞しようとしているような感覚に襲われました。

オリジナルプリントの、シルバーゼラチンプリントならではの深くやわらかい闇の色や、掉尾の荒々しい力を秘めたドローイングも魅力的でしたが、肖像写真部門が実は面白かったです。球体関節人形をもってポーズをとる不思議ねえさんレオノール・フィニとか、鳩となかよしの晩年のマティスとか、作家や画家の面構えには不敵な気品が満々でした。眼光鋭いフランシス・ベーコンが格好良かったです。「さあきみもキャプションをつけてみよう」と遊んでみたいような写真がたくさん。

芋の葉に隠れる若き日のトルーマン・カポーティがはちみつでできたようなアメリカン美青年で驚きました。『ティファニーで朝食を』は(もと)美青年の文学であるか。

ブレッソン自身のポートレイトもたくさん出ていました。眼光明晰で額の広い顔立ちの、背の高い、結構な美男子です。ルノワール映画のスチール写真に出てた若い神父の役がピッタリ。隣に並んだバタイユ先生の怪しい神父振りと合わせてみるとかなり可笑しいです。なるほど美男子の撮る写真であったか。

非常にinspiringな展覧会だったのは確かなので、図録が届いたらじっくり読み込んでみようと思います。

同時開催のアンリ・ミショー展は、書き手の頭の中で暴れ踊る擬人化された甲骨文字(のようなもの)のドローイングをこれでもかと見せられているようでした。もちろん時代が時代なので、メスカリンを一発決めて描いたばらいろ甲骨文字状文様群のドローイングもありました。そういえば多田智満子も神谷美恵子のもとでLSDを「服用実験」した体験をもとに宇宙空間に回転しながら浮かんでいる巨大な薔薇の詩(「薔薇宇宙」)を書いた時代があったなあと思いました。

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05. August 07

ドミトリー・レフコヴィッチ氏、クリーヴランド国際コンクールでショパン賞をもらう

われわれのドミちゃんことドミトリー・レフコヴィッチ氏ですが、クリーヴランド国際コンクールでショパン賞を受賞したそうです。あのすばらしい演奏でなーんにも顕彰されないってことはまさかないだろうと思っていたので、よかったです。安心しました。ドミトリー・レフコヴィッチ氏の今回の演奏を題材にした短歌30首の歌稿も送ったことだし(今度の「玲瓏」にのります)、今日はごちそうだ。泣

ちなみに優勝はぶっちぎり貫禄勝ちでぎんぎん、いや、ギンジンとか。
もう笑うしかない。
くわしくはこちらをどうぞ。
http://blog.cleveland.com/reviews/2007/08/who_won_the_
cleveland_internat.html

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01. August 07

ドミトリー・レフコヴィッチ氏の進化(2:追記有り)

クリーヴランド国際コンクールセミファイナルのドミトリー・レフコヴィッチ氏の演奏を聴きました。

あまりにもすごい、あまりにもすばらしい、もう、胸がいっぱいで、ここに書くのはもったいないくらいなので、作品に昇華します。

ドミトリー・レフコヴィッチ氏、全身が音楽なのだということがたいへんよく伝わる演奏でした。もう、別格です。
その前に弾いたアレクサンダー・ギンディンなど、ふつうのピアニストとしてはうまいのだと思いますが、まるで前座でした。ギンディン、がんがんびきだしね。(ファンの人ごめんなさい)

ひとつ大きく変わったことは、彼が傷つくこと、よごれることを恐れずに、まっすぐに音楽でもって見知らぬ世界にむかって求愛することを覚えたことでしょうか(へんないみではなく)。これはなかなかできないことではあるのですが、芸術家には必要なことなのだと思います。

地元大応援団がブラボーとばしまくり、WCLVのアナウンサーのおじさまのお話では、カーテンコールありまくりだったようです。

地元だからとてもリラックスして弾いているようだし、本選の指揮者もオケもよさげだし、なんとなくですが、彼は勝ちそうな気がします。

それでは作品作成に入ります。

追)The Plain DealerのDonald Rosenberg氏、ギンジンを激賞ですね…会場で聴くと随分違うのだろうか?

追2:8/2)いまThe Plain Dealerの頁で結果見ました。ファイナリストはDank, Kohlberg, Ghindin, Moutouzkineの4名とのこと。Zlabysもドミちゃんも落ちてる。まじかよ。ことばがありません。
それがコンクールよね、という感じですが、厳しいなあ…(無口)
ということはこれって、やっぱりGhindinが優勝か。なんだかな~(無口)
あんな押しつけがましいがんがんびきが、同じ音楽だとは私には思えないのですが…
ドミちゃんたくさん聴けたからそれだけで嬉しいし、私はいい詩が書ければそれでよいですけれど、でもな…なんだかな…
ああ、男ドミちゃん、どこへ行く。

とりあえず短歌連作まとめます。英語版計画中

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27. Juli 07

ドミトリー・レフコヴィッチ氏の進化(追記あり)

9時半に寝て3時半に起きました。あたますっきりです。
WCLVのクリーヴランド国際コンクールラジオ中継ウェブキャストでドミちゃんことドミトリー・レフコヴィッチ(Dmitri Levkovich)氏を聴きました。
今回は音声のみです。

・ハイドン Hob.XVI-50
(何度聴いても、第1楽章のイントロが「ド~ミちゃんとぼ~く」と私には聞こえます…)
・スカルラッティ K45
・ショパン 舟歌、黒鍵、夜想曲48-1(←得意技で固めた)

やっぱり私この人の演奏好きだわ。フョードル・アミーロフ先生の、異様な感覚の冴えをもってふつうの人には見えない世界をデモーニッシュに純真に拡大して聴かせてくれる音楽も得がたいものですが、ドミトリー・レフコヴィッチ氏の、プラトン的に澄んだ天体の音楽にあこがれる機知とユーモアに富んだ音楽はいまどきさらに得がたいものだと思います。
しかも彼、進化してます。品があって楽天的でユーモアのある持ち味はそのままに、陰翳と強さが加わって大人の男の音楽になったという印象をもちました(特にハイドンと舟歌と48-1)。

スカルラッティの華やかな楽天性と諧謔と憂愁は彼の芸風に合ってると思いました。とてもエレガント。暑苦しくないのです。声部の描き分け、デリケートな陰翳が完璧。もっと聴きたいぞ。

舟歌。あなた完璧よ。ざぶとんあるだけもっていきなさい。そういえば彼の弾くこの曲を題材に詩を書いて献呈したものでしたが…。おねえさん感無量です。ライヴで聴いたらもっといいんだろうなあ。
黒鍵は、実は人を笑わせるのが好きなんだろうな、と思わせるところもあり、余裕も綽々でした。技もきっちり決まっています。ショパンコンクールのときは結構一杯一杯だった48-1の解釈に深みが加わっていて、思わずうなずいてしまう。

曲ごとに盛大な拍手をもらっていました。クリーヴランドの人はうまい人に「ウホッ」「ヒュー」と声をかけるのでしょうか。最後の喝采の中に「ウホッ」という声が聞こえました。たぶん男の声だと思うんだが…
WCLVのアナウンスのおねえさまの口調がなかなか好意的でした。

ドミトリー・レフコヴィッチ氏はなかなかの美青年なのでありますが、映像無しでも楽しめます。

他の人の演奏を聴いていないのでなんともいえませんが、つぼらなければ良いところまで行くんじゃないでしょうか。

日本時間の30日4時15分からの回では、プロコとショパンソナタ3番を弾くそうなので、また早起きして聴きたいと思います。

ドミちゃんを聴けて胸のつかえが降りました。仕事に戻ります…

追記:地元紙The Plain Dealerに寄稿している音楽評論家Donald Rosenberg氏、ドミトリー・レフコヴィッチ氏を大絶賛です。「まるで夢の中にいるようだった」とのこと。それにしてもRosenberg氏の評は面白いです。簡潔かつ洞察深い評言で読み応えがあり、音楽と演奏家に対する愛情も伝わります。
http://blog.cleveland.com/reviews/cleveland_interantional_piano/
ところで、今回の強敵にはすでにコンサートピアニストとして活動していて日本でもファンを獲得しているアレクサンダー・ギンディンがいます。
もっとも、Round 2でつぼらなければドミトリー・レフコヴィッチ氏は次に行けるのではないか、とひそかに期待。
それにしても東京はあたまがとろけそうなくらい暑い…涼風をふきこんでくれたまえ~。


追記2(7/30):
4時に目覚ましかけてRound2聴きました。
(鈍行列車で茨城の内陸部の瀧のある邑に彼の演奏会を聴きに行く夢を見ました。草がきらきら輝いていた。なんだそれは。二度寝したら今度は北海道の山裾の音楽祭に参加しているドミトリー・レフコヴィッチ氏を訪ねる夢を見ました。持ち楽器の異なる若い音楽家たちがたくさん参加しているものでした。寝言を英語で言っているのに気づいてはっと目が覚めました。なんだそれは。)
プロコフィエフのエチュードに深い陰翳と黒々しいなにものかが加わったのは、たいへんすてきです。配信で聴くと、1曲目は、音声がフォルテでなくても割れるのが良くないのか、本人が爆走しているのか、それともあえて爆走寸前でがけっぷちの気分を表現しようとしているのかなんとも判然としないところがあったかもしれません。CBCのミュージック・クリップや、高松で聴いたときより格段に音楽に深みが出てきたようには感じるのですが…
ショパン3番の第1楽章はいったいに速めのテンポで、思わず落ち着けーーー!!と念じたものです。歌えるひとなだけに、それは少しもったいない気が。ああしかし口を一文字にひきむすんで涙こらえてなにかにさようならしている感じなのか。第2楽章から先はほんとうにすばらしかった。あのデリケートで透明な音楽はなかなか得がたいものです。彼の課題はやはりデモーニッシュな音楽の表現なのだろうなあと思いますが、そのあたりの苦闘も伝わってくるような第4楽章で、私たちは天使じゃない、人間なんだから、どんどんいっておしまいなさい、とつぶやいたら、なんだか泣けてきました。
もっとも、ライヴで聴くと印象がぜんぜん違って、もっと力強い輝かしい演奏なのだろうなあ。
ブラヴォー複数飛んでました(ウホッ、ヒュー、は聞こえませんでした)
ファンとしては聴けるだけで嬉しいし、もっと聴けたらほんとうに嬉しいけれど、上位8人しか次に進めないそうなので、結果ばかりは、ふたをあけてみるまでわからないかもしれないですね…(無口) 
もっとも、このコンクールはpoeticな才能のある人を重んじる傾向にある、とNYC在のピアニストかけだしの友人からもきいたことがあります。もし、ほかの多くの出場者たちが弾いているものが「音楽的ではない」のであれば、彼はかなりいいところまで行けると期待します。

ちなみに、The Plain DealerのDonald Rosenberg氏、ドミトリー・レフコヴィッチ氏を激賞です。「彼の音楽はもはや別次元である。彼はこのコンクールの詩人である」とか。(喜)
詩人ってあなた、かの国ではすごいほめことばですよ。
同志…。

http://blog.cleveland.com/reviews/2007/07/cleveland_international_
piano_4.html

7/31追記:ドミトリー・レフコヴィッチ氏2次進出決定です。出番は日本時間明日の朝9時15分から。

詳細はこちらをどうぞ。
http://blog.cleveland.com/reviews/2007/07/cleveland_international_
piano_6.html

まだ気はぬけないけれど、彼に勝ち目は大いにありそうな気がします。

山野の女神風のエレーヌ・ティスマン女史が残っているのは興味深いです。
今回の中継は音声だけなので彼女の颯爽としたお姿が拝見できないのが大変残念です。

うれしいなあ…。
さあっ原稿仕上げるんだ…。

明日の中継はもちろん聴きますが、実は所属歌誌用連作の歌稿も出さないといけないので、中継聴いて即詠20首してみようという暴挙を実践するつもりです(3日、4日の本選を待っていたら歌稿のデッドラインが来てしまいます…)。感想は追って書きますね。

あ、コメント欄あけましたのでよろしければどうぞ。

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25. Juli 07

ちかごろのわたくし|ドミトリー・レフコヴィッチ氏@クリーヴランド国際コンクール

■しばらく間があいてしまいました。近況です。試験期間も再来年引退する某師匠の同窓会合宿も終わり、やっと夏休みに入りました。休み明けまでになんとかしなくてはいけない某論文と、月末に締め切りの延びたけふこ名義でない某原稿と、もろもろの事情で一度自分の分担は脱稿したはずなのにいきなり追加で分担の増えた某神話宗教事典の翻訳とに取り組む毎日です。心理的危機とねたぎれ星人を脱出したのはよいのですが、7月末までに「銀聲」と「玲瓏」にのせる詩歌も作らなければならず、とてもデマンディングな毎日です。ひい。蒸し暑いのは非常に困ります。ともかく自分がしっかりしないことにははじまりません。心ある学問仲間に励まされつつ活動しています。8月下旬から2週間ちょっと欧州に調べ物に行きます。フーズムにも行きます。ジョナサン・パウエル先生を聴いてきます。飛行機の券がとれませんでした(残っているのは高すぎる)。9月中旬に10日ほど註をつけにロンドンに行ってきます。

とはいえ、コレギウム・ムジクム・テレマン東京定期公演(中野振一郎Cemb&高田泰治Fp)のユーモアあふれる闊達な音楽で涼んできました。W.F.バッハの2台ソナタはダイナミックでかっこいいなあ。あれは弾いてみたい。

東京の夏音楽祭で東京室内歌劇場が上演したヘンデル《アルチーナ》でニヤリと笑いました。アリアによる登場人物の性格描写が面白いだけに、衣装と装置がいまひとつ垢抜けなかったのが惜しい。後半の「虎のアリア」あたりから舞台がぐっとひきしまったような気がします。ヴィート・クレメンテの指揮は的確で良かったです。
《アルチーナ》はもとねたが『オルランド・フリオーソ』なのでありますが、恋人ルッジェーロを求めてアルチーナの島に漂着したブラダマンテ(男装中)と出会い頭にいきなりアルチーナの妹モルガーナが♪な~んてハンサムなんでしょう~と歌い出したり、恋に生きる山野の女神的魔女(淫満妖女?)アルチーナを倒すときに♪もうすぐこの緑の牧場もほろびるであろう~とか、♪むかしペルシャに虎が居た~とか、優柔不断ぼっちゃまのルッジェーロがなけなしの勇気をふりしぼって歌う歌の歌詞がどことなくヒーローっぽくなくてまぬけだったり、おなかがよじれそうでした。

そういえば、アミーロフをお菓子で表現する企画なども考案中です。たぶんカルダモンと胡椒と八角の入った薄焼きビスケットです。もうすこし涼しくなってお菓子をつくる余裕ができてきたら試作してみます。付録豪華パンフレットも計画中です。苑生3号はどこへ行ったんでしょう。


詩集はその後ぜんぜん進んでいません…まずは研究をなんとかしろという神様の思し召しでしょうか。

■ドミトリー・レフコヴィッチ氏、クリーヴランド国際コンクールに出場
クリーヴランド国際コンクールは今日から8月5日まで。演奏順決まりました。http://www.clevelandpiano.org/comp_schedule.html
我々のドミトリー・レフコヴィッチ氏は1次予選(2回弾く)では現地時間26日の15時、29日の15時15分から登場します。日本時間では27日の4時、30日の4時15分です。
地元ラジオ局の音声ストリーミングで演奏を聴けるもようです。
http://www.wclv.com/page.php?pageID=191
よふかし無理なので目覚ましかけて聴きます。彼もそろそろ最後のチャンスだと思うので、今度こそぜひ生き残ってほしいです。なお、優勝者はナクソスからCDが出せるそうです。

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07. Juli 07

ロシア国立美術館展とこんぴらさま

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原稿の締め切りに追われていますが、うつくしいものをみたい、という渇きいやしがたく、展覧会を見てきました。音楽だけではやはりたりないものがあります。
東京都美術館で7月8日(明日)まで開催中の「国立ロシア美術館展」です。
18世紀後半からロシア革命前夜にかけてのロシア絵画・彫刻の特集です。
ザンクト・ペテルスブルクの国立ロシア美術館の所蔵作品が展示されています。
もちろんイリヤ・レーピンの作品もたくさん来ていますが、その周辺の画家たちの作品も負けず劣らずすばらしい。
北国の透明な光と影への感受性、水色の澄んだ空と暗い水、布地や草木の葉や雪の表面の質感まで実物以上にリアルに気品をもって再現する超絶技巧的細密描写、もう鼻血ものでした。こういうのもう、大好き。カスパール・ダヴィッド・フリードリッヒやセガンティーニが好きな人ならきっと楽しめます。

これを見ると、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティやバーン=ジョーンズの作品がテク・構図・着想とも垢抜けなく感じられたりするかもしれません。

イヴァン・アイヴァゾフスキー描くところのスケールの大きな海景画の、嵐のときにも透明な青緑の光をたたえた水や、イヴァン・シーシキンらの描くふんわりとつもった雪に乱反射する光や森やくさかげの色の移ろいを描いた風景画が実にすばらしい。これは実物を見るにしくはない。そして、肖像画もそれぞれとても印象的です。誇り高い人間たちがいます。男女ともに媚びを一切排した存在感。子供から老人まで味わいのあるハンサムも目白押しです。
ドミトリー・レヴィツキ描くところのエカテリナ2世の、男以上に貪婪な精力をたたえた眼と肉体を輝く絹の衣装に包んだ肖像はただただ感服ものです。レヴィツキは尋常ならぬ執念を込めて重たくすべらかな白い絹の質感を描いています。縫い目のところの布の微妙なふくらみまでみごとに再現されていました。ソーイング者必見です。

イリヤ・レーピン描くニコライ2世陛下、スマートです。怜悧でさびしげなまなざしとおひげがすてき。

宗教画では、ヘンリク・シェミラツキの《マルタとマリアの家のキリスト》が感動的です。このエピソード、もともと好きなのですが、この絵の透明な光と影の階調はほんとうに美しい。とくにうすむらさきと緑色の微妙なグラデーションが繊細ですてきです。地中海の明るい光のふる葡萄棚の庭でイエスとマリアが語り合っている絵なのですが、マリアはふくふくの頬の健康的な女の子だし、イエスさまがかなり男前です。マリアの服のセルリアン・ブルーも上品です。マルタは橙色の服を着たごつい働き者のおばちゃんとして描かれています。しかしなんてしあわせそうなひとたち。庭の鳩たちもふかふかと、いまにも飛び立ちそうで愛らしい。会場では画幅中央右側に描かれたマリアのそばに立つと照明の加減で光がイエスさまに当たって画布がぎらぎらと光ったり、もうすこし離れて全貌を見ようと試みるとまた別の場所が光ってなかなか全貌がとらえがたかったりもして、神秘的でした。

ウクライナの風景やヴォルガ河流域の風景を描いた作品もいろいろあります。どちらも光線がぱっきり乾いていて空の色が澄んで鮮烈ですが、ヴォルガ河流域のほうがより光線が強く、苛烈なかんじがします。

会場は、思ったよりは混んでいませんでした。人の流れはとぎれませんが、空間的時間的に余裕をもって鑑賞できます。画学生ふうの若い人(女性おひとりさま多し)と、ロシアに憧れをもっていそうな中高年の夫婦が多そうでした。明日(8日)までなので、お近くの方はぜひ。

ちなみに、この展覧会はこれから

金沢21世紀美術館(8/25-9/24)
愛媛県美術館(10/3-11/11)
サントリーミュージアム(天保山、11/20-2008/1/14)
東京富士美術館(1/24-3/23)
と巡回します。

もういちど東京富士美術館に見に行くかもしれません。

芸大博物館で今日からはじまった「金刀比羅宮 書院の美-応挙・若沖・岸岱-」はロシアの風光とはまったく対照的な世界です。しかし、なごみます。

ふくふくユーモア生物の虎たちを描く円山応挙、息詰まるような細密デザイン感覚の若沖の植物文様、吹き抜ける光と風を感じさせる金箔の背景に胡蝶の群れや柳と水鳥とかきつばたを描く岸岱らのふすま絵が出展されています。やわらかな照明の下、もとの部屋の形状にあわせて襖絵が展示されています。ゆったりと自然なみごこちです。

展示品すべてがオリジナルというわけではなくて、キャノン(だったかしら?)の高画質インクジェットプリンターを遣った複製が一部展示されています。キャプションにはどこからどこまでがオリジナルで、どこからが複製か示されていますし、複製の画質も遜色なし。

地下の展示室には、絵馬や祭具も展示されています。民俗への興味も満たされる、かもしれません。カメラ目線の駻馬の絵馬がそこはかとなく笑いを誘います。

なお、同時開催の芸大コレクション展「歌川広重《名所江戸百景》のすべて」も見られます。東京がまだ緑に覆われた水の都だった時期の風景画、地平線の青みのかった紅と川の深い青色があだっぽくも、粋です。シャープな描線で描かれる風景の構図はほんとうにカッコイイ。ぜんぜん古びていません。こんど図版を買いに行こうと思います。ジャポニズムの画家たちが試みた広重の模倣例も展示されていますが、描線が太くてマチエールが分厚いせいか、やっぱりどことなくやぼったく感じられます。
なるほど和物の題材は短歌には自然に遣いやすいかもな、と見ていて思いました。

金刀比羅宮展・広重展は9月9日までです。

ちなみに金刀比羅宮展の公式ウェブサイトはこちら
えっっ、公式音声ガイドのナレーション、片岡愛之助さんなの?
あらまあ
展覧会記念Tシャツのデザイン(岸岱の胡蝶図)もステキだったし、もう一回行くかも…

渇きは癒えつつあります。
展覧会を見たあとは宇治茶氷できまりです。次は近美のブレッソン展+アンリ・ミショー展だな。

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03. Juli 07

網様映像(とハフ先生のラモー)を貼っておきます

7月4日追記:やっと夏休みに入りました。これで原稿にいそしめます。ところでさきほど6万ヒット達成した模様です。網様レビューが追い風になったのでしょうか…。今後ともどうぞご贔屓に。


モスクワやふらんすからたびたびお越しくださっているかたもあるようですし、更新します。
あれ以来フョードル・アミーロフ先生は、わたしのなかではすっかり「網様」になってしまいました。まだ宙を浮いているような気もするのですが、ともあれ明日をなんとか無事に乗り切れば、夏休みが来ます(喜)

しかし網様を題材に短歌や詩を書くのはかなりいろいろ取材がいるかもだな。ヘレニズム小説に登場する美男子の詩人のようなどみさん(ドミトリー・レフコヴィッチ氏)を詩にするときには手持ちの晴朗な西洋古典ねたで十分すぎるくらいに面白いものが書けましたし、僧形めいてるハフ先生を描くにも、英国の世紀末文学にほのあかるく漂うロマンティックな彼岸への憧れとか、そのあたりの慣れ親しんだ世界から類推が働きましたから、そう苦労はしませんでした。しかし今回はそうもいかなさそうです。網様も、パンク野郎にみえても陋巷の聖者のようにどこかストイックな感じはしますが(そう、真のビート野郎は陋巷の聖者のようである)、なにしろ演奏には濃厚に「ろーしーあー」のかおりもするものなあ。たたずまいは「たたーるー」てかんじで、ああ、草原で馬に乗ってる姿も想像できる。ぼろぼろの演奏になっても敢然とみずからの音楽を貫き通す姿にもほれぼれする(ステージ・フライトもちのパーフェクショニストな自分としては、とてもとても勇気づけられる)。ロシアの世紀転換期の詩もたぶんちゃんと読む必要があると思う…。

そうだ良い機会だからますますあのあたりのこととか調べてみるかね
詩のためならなんでもするのか自分…


といいつつも、ブラームスのラプソディとショスタコーヴィチのプレリュードとフーガ(A-dur)をさらう今日この頃。ラフマニノフはスモールハンダーの私にはいささか厳しい。

ということでまだ長い文章を書くに至ってはいないのですが、YouTubeの網様映像へのリンク貼っておきます。もうご存じのかたも多いと思いますが、しばしお楽しみください。

これはさきのショパンコンクール(懐)のときの映像です。ここのウェブ中継実況レポート(1次予選(3))では「(アレン・ギンズバーグやケネス・レクスロスやe.e.カミングスあたりの)ビートニック・ポエトリーを読んでいそうな風体、昔は愛くるしい美少年だったのに…でもやっぱり洗練されていて上手」とか書いてました。なんだ誉めてたじゃん自分。スケ3の終わりのほうと、オクターヴのエチュードと木枯らしを弾いてます。革パンじゃなくてチノパンだったんですね。どみさんの光り輝くようなかんぺきな舟歌とはかなり芸風の異なる彼ですが(この演奏は勢いがあるけれどやっぱり粗いところもいろいろあると思う…)、非在の方角からたちのぼるほの暗い情念のなかの底光りする真実、といったものはたしかにあるように思います。しかしそれはそれでお美しい。駻馬を駆るようにピアノを駆っているような…

これはアムラン以外の人が弾いたアムランのエチュード画像という点では貴重だと思います。
若い、腕に覚えのある、進取の気性に富んだ心あるピアニストの諸君、ぜひ網様に続いてくれたまへ。もっとも、本家アムラン大将の余裕綽々の偉大にして凄絶なる存在感と、決めるときには低音炸裂もばっちり決める迫力の前には、網様の銀線細工のような演奏といえども、「ははは小僧、まだまだだな」という感じは否めませんが。

YouTubeでまたなにか発見できましたら貼っておきます。
できればあの真っ黒なショスタコのソナタとシマノフスキもいちど聴きたいんだが…

ところでハフ先生の画像…ラモーがステキなので貼っておきます。
ほんとうに美しい。
ただただためいき。
先生もっとバロック弾いてくださらないでしょうか。《スパニッシュ・アルバム》に入っているカベソンソレールもストイックで華やかでステキでした。

結局、ストイックでどこか華やかなのが好きなのか自分。身のうちのかくしようもない豪奢…
おたのしみくだされ。

追記)
さて、今回のチャイコフスキーコンクールで「1位なし2位」になったクルトゥイシェフの演奏ですが…
YouTubeにあがっていたマゼッパと雪かきをやっと聴きました。
彼は体格も恵まれているし、手も大きく分厚くパワーがありそうだし、剛腕で指回りもいい。技もバッチリ決まって正確で安定しているし、バリッと景気よく弾けてることは事実。でも、肝心の音楽がおもしろいかっていわれると…なるほどそういうことなのか

それから、コンスタンティヌスの巨像を思わせる風貌と、ぎょろっと動く大きな目がなんだかこわい…
異貌のピアニスト…

クルトゥイシェフのファンの皆さんごめんなさい。
剛腕かつ指回りがいい若手なら、むらはあるかもしれないけれど、やっぱり音楽が面白く、見かけも(口を閉じてれば美青年の)エレガントでおされなヴンダー先生がいいです、私。

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03. Juni 07

ついでにぶつぶつ

遅ればせながら話題の小池昌代「タタド」読みました。確かに物語は破綻してません。文章も手練れで、80年代のトレンディドラマを想起させる世界です。「男女七人夏物語」とか「恋におちて」とか「きんつま」とか…。80年代と違うのは、登場人物が淡々としていることです。生活に疲れかけた50代男女が伊豆の別荘でけろけろっと大学生のサークル合宿のような共同生活をし、最後にあっさりスワッピングに進みます。川端賞の審査員の先生方がみなさん「頽廃の味がおしゃれ」とおっしゃるのですが、私はぜんぜんそう思いませんでした。どうせ頽廃で突っ走るなら、あの後味の悪ーい『ピアニスト』を書いたエルフリーデ・イェリネクの速度と強度でぐりぐりごりごり善悪の此岸と彼岸をじぐざぐに突っ走ってくれればある意味爽快なのですが。小池昌代の川端賞受賞第1短編集も立ち読みしたけど、なんだか全編あんまり気持ちよくなさそうなエロとセックスばっかり、表題作なんてペドフィリアの仕立屋さんにやられちゃう小学生が、みずからの娼婦性を自覚する話だよ、あーあやんなっちゃう。でも本の装幀はまた品がよさそうなのだよな…おいおい読者、「いまの世の中でオシャレなのって、こんなのでしょ、ほーらあんたたちこんなの好きでしょ」って、足元見られて見下されてるんじゃないか。こんな物欲しげでない、人生の味を知っているちゃんとした大人が出てくる小説が読みたいよ。

はじめて「新潮」買いましたが、いろいろあっても言語の冒険に富んだ詩歌の雑誌のほうが私には面白かったです。小説が現代風俗の病理の追体験やナルシスティックな回想録ばかりってのもなあ。ノンフィクションなら「新潮+45」のあざといルポルタージュのほうがまだ見せ物小屋めぐり気分で楽しめるし、それにね、900円あったらマルハバのうまいランチBセット食べるよな。東浩紀の対談でてますが、いつもながら彼の見ている「日本」と「東京」は、まるで違う惑星のようだと感じます。育ちが悪くてなにが悪い、日本なんてしょせんサブカルランドさ、と、ネットのお友達とつるんで蛮声あげて咆哮でまわりを圧倒されてもなあ。なんだかなあ。

ところで「るしおる」休刊になってしまいました。私のような者にも詩と批評を書かせてくれる希有な商業誌だったのですが…(無口)


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01. Juni 07

ごぶさたしております

みなさまごぶさたしております。
いつまでも春休み、ってのも変だし、2ヶ月なにも書かないのはあまりにも間がもたないので久しぶりに書きます。

学校が始まってものすごく忙しくなってしまいました。
週の前半は講義の準備、後半は論文書きと史料読み、てな案配です。
しばしプラトン先生の胸を借りて修行しておりました。
論文の補強のために国家、法律、パイドロス、ティマイオスあたりを読んでいました。
簡潔なことばで、しかも対話形式で、おそろしく深いことを言う。
すさまじいかぎりの言葉の力です。
プラトン先生のおかげで、だいぶ道が開けました。

しかし、心を亡くす、と書いて忙しい、とはまさにいいえて妙です。
寝ても覚めても研究が頭をはなれません。
教会にもペンテコステに久しぶりに行ったくらいです。
ピアノ全然弾いてません。
バッハくらいでしょうか。平均律とかパルティータ1番2番4番とか。
ショパンはエチュードくらいしかやってません。
舟歌とバラ3はどこへ行ったんでしょうか。
モシュコフスキーのエチュードは初見で楽しめるので時々弾いてはいますが。
もちろん、エリコンのネットストリーミング、ぜんぜん見ていません。
というか、興味がわかないよ。ゴルカとっとと負けちゃったし…。
たぶんチャイコンのネットストリーミングも見ないでしょう。
リバティ布の在庫が消化できるのも当分あとになりそうです。

それでもとりあえずラ・フォル・ジュルネは見に行きました。歌ものだけね。
いまさら感想書くのもなんですが、カペラ・アムステルダムのストラヴィンスキー《結婚》、とても良かったです。
若々しくてすっきりした演奏、気に入って2回も聴きに行ってしまいましたよ。
キャロリン・ハンプソンの硬質で透明感のあるアルテミスっぽいソプラノが、たいへん好みでございました。
フセヴォロド・グリヴノフのあっけからんとしたテナーも爽快でした。
アクサントゥスのドヴォルザーク《スターバト・マーテル》の伴奏を弾いていたアラン・プラネスの想像力豊かなピアノもなかなかでした。ピアノだけもっと聴きたかったかもしれません。
動線細いとかいろいろあっても、レンゾ・ピアノ設計のあの建物はやはりお祭りになるとがぜん生き生きするなあなどと思ったのでした。

詩集につきましては、また詳細わかりしだいお知らせします。
もう原稿出しちゃったからあとは運は天に任せた、って気分です。
いろいろ短歌の題材になりそうな事件を拾ってはぼちぼち書き留めてはいますが、長い詩を書く体力と時間がいまはない…
ま、そんな時期もあるでしょう。

筒井康隆『巨船ベラス・レトラス』(文藝春秋)は面白かったです。日本のいまどきの文藝にたいする辛辣な、厳しくも真摯な批判をグランドホテル形式に託し、誰かが言わなければならないことをしかるべき立場から直言して痛快かつ見事。親に隠れてスラップスティック・ショートショートや七瀬シリーズを読んでは「こんな下品なもの読むんじゃありません」と叱られていた子供のころを思い起こすにつけ、感無量です。でも、私は船首像にはなりたくないぞ。

高橋睦郎『漢詩百首』(中公新書)も良かったです。しかるべき立場から発言すべきことを貫く立場、詩人はこうありたい、と思いました。巻末の対談と講演録だけでも、買う価値はあります。新書版なので風呂時通勤時の一冊にもおすすめです。

それではまた気が向いたらこちらに出てきます。
みなさまお元気でお過ごしください。

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25. Januar 07

学校の作文、学校の作文、にげなさい、詩人が毒草とともに大襲来中!!(るしおるがきた)

るしおる63号がきました。いつになく炸裂しています。学校の作文よ逃げよ(まるしい西脇順三郎)、といわれずとも、学校の作文がしっぽまいて逃げ出しそうな勢いの、読み応えたっぷりの冊子にしあがっています。

私も相澤啓三『交換』の書評を寄稿しています。一見、かなりクィア・ポエトリー批評コンシャスなように見えますが、ジェンダーとかセクシュアリティの話というよりも、日本語で書かれるマイノリティ文学としてのハイカルチャー志向の文学、という話になっているかもしれません。引用をたくさんいれました。自分で言うのもなんですが、面白いです。
河津聖恵さんのパムク評、川口晴美さんのナフィーシー評とかずこ様(白石かずこ)の連載と同じ紙面で嬉しいです。中村恵美さんも高柳誠の作品と詩劇の上演の評を書いています(本質的には演劇の人なんだなあ)。
岩成達也書評論文シリーズも、トマスの話に入りました。中世哲学への関心の架け橋、ありがたいことです。

いや、それにしても、斉藤斎藤を見直したよ…。
彼の連作「今だから、宅間守」はすごいです。
現代の底知れぬ悪意と偽善の本質を大阪教育大附属池田小学校殺人事件に託してあのからっとつきぬけてすっとぼけた文体の短歌で書くなんて、勇気あるなあ…。
漢だ…。
よく載せたなあ…これは話題になるなあ…。
「アメリカのイラク攻撃に賛成です。心の準備がいま、できました。」
という短歌で、憤激させた人もいる彼ですが、やってくれるなあ…。
にこにこ坊主頭の容貌魁偉な好青年がついに牙を剥いた感じ、学校の作文が好きなモラリストの人は読まない方が賢明かもしれません。

書肆山田の本はネット書店でも買えます。詳しくは書肆山田のウェブサイトを。

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