14. April 08

うた魂♪とプティボン

《うた魂♪》とプティボン見てきました。
どちらも歌う喜びについてひしひし感じさせるものでした。
まずは《うた魂♪》の感想から。
予想以上に面白い映画でした。中学・高校・大学で集団技音楽系サークルに関わったことのある人なら、思い当たる場面がたくさんあって笑い泣きできます。
脚本は函館イリュミナシオン映画祭シナリオ大賞受賞作。
軽妙なセンスのある脚本だと思います。
自分の世界にこもりがちな少女がいっしょうけんめい仲間となにかをする喜びを見つけるまでを描くさわやかな作品。
人物描写はあっさりした劇画タッチなので、こむつかしい理屈をこねるのが好きなシネフィルの人はねこまたぎすると思います。仲間といっしょけんめいなにかを作ることに懐疑的な人は、劇中で主人公に発せられる「合唱だなんてだっさーい」とか「唄ってる顔が産卵してるしゃけみたーい」の、合唱の外側にいる人の何の気なしのことばの気分をエンドロールが全部あがってもぬぐえないのではないだろうか、という気もします。

ところで、この「なにくそまじめになってんの?ばかみたーい、唄ってる顔がしゃけみたーい」て感想、人前で感情をあらわにすることをよしとしない日本人らしいですよね。それに、文化的背景を考えれば、合唱は日本では宗教音楽のなかで一目置かれるどころか、学校のなかで良くも悪しくも生徒を束ねる装置に使われていたりもしたわけだし、西洋わたりのシーリアス・ミュージックが生活の中に根付いているわけでもないし、そんな中で日本人がいっしょけんめい合唱する必然性への素朴な疑問を直感的に表現しているともいえて、考えさせられます。

でも、東アジアならではのすがすがしい青春映画があったっていいじゃないか。
勝因は地方の公立進学校の「女子合唱部」を舞台にしたことでしょう。
あの年頃の女の子特有の一途さ、はにかみと潔癖さ、仲間意識の強さがきりっと結晶しています。
混声合唱団を舞台にしてたら、まったく違う映画になったでしょう。どろどろを避けるのは神業。
彼女たちとまったく対照的な不良少年のグリークラブも、男声合唱特有のばんからアウトロー志向の一種の極北でしょう。ガレッジセールのゴリ扮する昔懐かしいヤンキースタイルの番長、明らかに老け顔ですがそこはたたずまいと迫力でカバー、いかにもいそうでした。
主人公と実は両思いのはずなのに、感情表現が不器用ですれちがってしまうハンサムな生徒会長とか(そりゃ、好きな人に「君の歌ってる顔、しゃけみたい」て言われたらがっくりくるでしょう…)、主人公を敵視するモテ子が実は音痴ゆえに子供の頃に主人公に傷つけられてしまった(しかも主人公にその自覚がない)とか、脇役のエピソードもほどよくほろにがい。

合唱の映画ですが、合唱が生活の中に根付いているとは決して言えない日本の風土を反映してか(?)選曲はポップス寄りです。
コンクール直前に自由曲を変更(?)するとか、コンクールの審査員席に先生然とした人が少ないとか、その筋のことを多少知っているとありえない設定もいろいろあるのですが、朴訥で一途な合唱団員の少女たちの練習風景(学生の自主性を尊重する学校に惹かれた、との監督インタビューをよみました)とか学校生活の描写、合唱コンクール都道府県レベル大会での合唱人の生態はリアリティたっぷりです。
実在する高校の合唱団がコンクールの場面に出演しているのも良い感じ。全員合唱で盛り上がる曲だとみんなで自然に歌うんだよなあ。
合唱団員役の役者さんたち、3ヶ月の特訓の成果で吹き替え無しで歌っているそうです。
実際の全国大会常連校と比べるのは酷かもしれないですが、それでもある程度の水準には達しているからスゴイ。主人公を演じた夏帆ちゃんの(息漏れたっぷりだけど)透明で柔らかい声が冒頭のブリテン編曲版《Early One Morning》に良く合ってました。オケ伴アレンジなのが主人公の自意識過剰ぶりを描くエピソードにぴったり。
選曲も説得力がありました。
30代後半から40代前半の人にとっては反抗のアイコンだった尾崎豊をイマドキの学生さんも同じように反抗のアイコンと見ているのだろうか、とは思いましたが、歌詞に登場人物の思いを託す造りなので説得力があります。日本のシーリアス・ミュージック系合唱の代表として高田三郎が出てくるところが、合唱経験者としてはかなり笑えたり笑えなかったりするポイントかもしれません。《水のいのち》の「海」と「川」をそれぞれおばちゃんコーラスと主人公の学校の女子合唱部が歌います。どこかしんきくさいところもある、とってもシーリアスな日本のまじめな合唱曲のイメージ。高野喜久雄の詩からは西洋の精神性にあこがれる昭和の日本人の心も感じられます(高野喜久雄は実はvouのモダニストなのに、高田三郎とタッグを組んだ声楽曲の詩になると西洋近代のある種の宗教詩のにおいのする詩を作るのです。そのあたりやはり独特の存在感のある詩人だと思います。)スタンダードナンバー中のスタンダードですね。ここでオザキばかり歌ってる不良少年軍団が「おまえらは大河を讃える歌を歌えてかっこいいぜ!」て感想をもつシークエンスにつながるところで、ワタクシなぞはおもわず複雑な笑みを浮かべてしまいます。むむ、高田三郎と仲間たちの働きによる《典礼聖歌》支持派のカトリック関係者のかたがご覧になると「おお、この子たちはタカダせんせいのすばらしさをよくわかっている」とお思いになることもあるかもしれません…(ちなみになにかとうたいにくい曲が多いのに面と向かって批判しにくい雰囲気をかもしだしている《典礼聖歌》ですが、高田三郎の作品はそのなかではやはりひと味違ってまだしも歌いやすいです。やはり名匠です。)
その後に「いいかー、おめーらみたいなPTAご推薦の合唱はたしかにうまいかもしれないけどなー、俺たちの合唱のほうがよっぽどオーディエンスのハートに響くんだぜー!」と不良軍団がおらびます。彼らが腹の底から歌うプロテスト・ソングとしてのオザキの印象が強烈なので、ああそうか、と一瞬納得させられます。でもさ、オザキって青学のぼっちゃんだったんだよな…(しかも青学って一見キリスト教色薄いように見えるけどしっかりミッション校なんだよな…メソヂストの精神性はすこしもヤワじゃない。むしろたくましいです)。しかもオザキって反抗のアイコンとして商業的に成功したんだよな…。爆笑ポイントだけれど、後から考えてみるとかなりほろにがーい笑いも味わえます。

もっとも、ここはすっかりやる気をなくした主人公が「部活やめよっかなー」と思いながら舞台に立つ場面なので、三善晃/谷川俊太郎コンビの《私が歌う理由》を使っていたら随分印象が変わったと思います。日本語でおしゃれなプーランク風の音楽が歌えて歌詞がたにしゅんで明快で一粒で数倍美味しい良い曲だけど、なにせ難曲だからなあ。♪なぜ さかのぼれないか♪だと「しゃけ顔」からの連想が絶妙で、思わず爆笑させる場面にはなるのですが…。


産休代用教員の音楽の先生(主人公の学校の合唱部の顧問)を演じた薬師丸ひろ子の控えめな演技も印象的でした。いしいひさいち描く「藤原先生」を思わせます。ストリート・パフォーマーの経験もある、パフォーマーかたぎの音楽教師が生徒とつかず離れずかかわってゆく、という設定。歌声も健在。もうすこし描写に奥行きが出れば…と思わなくもなかったけれど、観客に考えさせる造りだからこれでいいのかもしれません。

十五の心に戻ってみるも良し、教師の視点から見ても面白い。
疲れた毎日のなかで初心を思い出したい音楽好きのアナタにおすすめです。

パトリシア・プティボンの感想は数日中にアップします。
いやー、あんなに面白い人だとは思いませんでした。
だんぜんライヴのほうが楽しいです。
軽めだけれどどの声域でも豊かな響きのある声、
清潔でお茶目で知性がきらりと光る歌いぶり。
鳴り物あり、コントあり、日本語MCあり(カンペが色とりどりですてき)。
もう、大好き!
ピアノのマチェイ・ピクルスキも好演。
暖かくて包容力のある、歌い手思いの演奏でした。

彼女も歌ってるとあのキュートなお顔が産卵してるしゃけどころか、
そりゃもうものすごいことになっているわけですが
そこまでしてこそあの声が出るし、あの魅力が映える。
やはりそれでこそ歌姫だよなあ。
《うた魂♪》の主人公のように「もしかして、歌ってるアタシ、変?」と
懐疑の気持ちを抱いている女子高校生には
プティボンの出てるDVDを見せるのが良いと思います。
French Touchでもオペラでも…。

家族みんなで楽しめるステージです。
オペラシティ満員だったし、次回につながるといいなあ!

|

19. November 07

デセイ姐さんの腹筋

ごぶさたしております。
なかけふです。
なんと3ヶ月ぶりの更新です。
日本に帰って来るなりお悩み相談の嵐でもみくちゃになりましたが、なんとか一応生きています。
詩集の最終稿を書肆山田に送りました。
来年の前半のどこかで出ると思います。
これで論文に集中できます。
短歌は最近とても詠める状況にありません。
とにかく散文に頭を切り換える必要があります。

リコーダーを入手しました。ヘンデルのリコーダーソナタとブランデンブルク4番のリコーダーパートを練習しています(初見でヨユーなのにおどろいた)。来年春には弟子入りを計画中です。トラヴェルソとどちらにしようか迷いましたが、実はリコーダー奥が深いです。ヴォイス・フルートもほしいな。

あと、ラヴリー電子楽器「ケロミン」(http://www.keromin.com)に興味津々です。楽器フェアに行ってケロミン試奏してきました。なにしろ品のある顔でしかもかわいいし、楽器としてもいろいろ応用が効きそうです。朗読会に連れて行って演奏したらどんなに面白いでしょう。百万が一「歴程」のお仲間になるようなことがあったら、ケロミンを連れて行って「草野心平先生の霊に捧げます。けるるんくっく」(まず、丸めて「冬眠」をさせる)とかやってみたいものです。5万円は高いと思いましたが、他の楽器のお値段を考えてみれば、5万円で相当楽しめるんだから、価値は十二分にあると思います。懐如意になったらぜひほしいです。

ところで、ナタリー・デセイのオペラアリア・リサイタル初日行ってきました(東京オペラシティ武満メモリアルホール、11月15日)。
席は1階stallの前方まんなかへん。
はずかしながら今回初デセイです。
ピアノと古楽の聞き手の書いてることですから、なにぶんにもご容赦くだされ。

まずびっくり。
東フィルがうまくなった!

いつのまにあんなにオペラのうまいオケになったんだろう

って、ピットの中に入っている部隊もいるんですから

そりゃそうですよね。

海外有名歌劇場オケと比べるのは酷ですが、少なくとも楽しそうな演奏が出てくるようになっただけでも、10年前のなにやってもいまひとつ覇気に欠けた東フィルとは隔世の感です。
やれニュアンスに欠けるだの、やれ歌をじゃまするなだの、細かいことをいったらきりがないのかもしれませんが。

指揮者はエヴェリーノ・ピド。姐さん主演で「ルチア」の全曲録音を作った人です。
もうひたすらノリノリでした。

中学の吹奏楽コンクールで上手い学校がよく演奏する
《シチリア島の夕べの祈り》序曲
なるほど、そういう曲だったか。
これも、オペラを聞き慣れた人にはいろいろあるのだと思いますが
さすがの貫禄の大人の演奏でした。

デセイ姐さん、そりゃもうすばらしかったです。

豊満な声をイタリアオペラに期待する人には
ものたりないのかもしれませんが
声が実に自然です。
ばりばり倍音が客席に伝わります。
(席のせいもあるかもしれませんが)

えっ、姐さんあれで不調なのか。
すごいなあ、職人だなあ。

それから、役柄がちゃんと生活して生きている感じなのです。

19世紀のオペラなんて大仰で色恋沙汰ばっかりでやだわ、
なんて思ってましたがところがどっこい。

デセイ姐さんにかかると、ルチアもすみれちゃんも一人の生身の人間なのです。
感情のゆきつくところに変なもってまわった毒々しさがないのです。
スコットランドのヒースのお屋敷で裏切られた愛に気が触れるルチアねえちゃんでも
パリの肺病やみの西洋おいらん・すみれちゃんでも
等身大の息づかいと感情が伝わります。
その人がちゃんとご飯食べて生きている感じ、とでも申し上げましょうか。
ルチアもすみれちゃんもひとりの人間なのだ、と実感できました。
歌の向こうに情景が見えます。
姐さん一人オペラでしたね。豊満でない声がかえって役柄のリアリティを増すのではないかという印象を受けました。

オペラ好きの人からすれば、ヴィオレッタが軽いとか、いろいろあるようなのですが
東京ではあの暴力的な値段と重苦しい演目に負けてオペラを見に行かない者としては
いや、あれは充分ありだよなあ
19世紀の肺病やみのおめかけさんが重々しい声で歌う方が
(しかも死にかけの時にまで元気いっぱいに歌ったり…)
かえってリアリティないよなあとか
様式美(?)をまるむししたようなことを考えてしまうのでした。
きっと姐さんならば死にかけのすみれちゃんもちゃんと死にかけでしょう。

しかも姐さんの腹筋はドレスの上からはっきりわかるほどすごかった。

ちなみにドレスは前半が萌葱色、後半がポピーレッドの、胸回りにきらきらスパンコールやラインストーンの入った素敵なパターンのノースリーヴでした。

鍛えてます。

あの演技と歌声はあのすばらしい腹筋に支えられているのですね。
ワーク・アウト・プログラムが知りたいです。

ルチア狂乱の場で共演していたガラス楽器制作・演奏家のサッシャ・レッケルトの演奏がまた良かった(もくっとした可愛いドイツのお兄ちゃんでした)。

グラス・ハーモニカといえば、あのあやすいメスメルはかせが催眠術の入眠導入に使っていた楽器ですが、今回はレッケルトが復刻したヴェロフォンを使用。明和電機の「魚器」に似た図体の楽器ではなくて、金色の枠に縦にガラスのパイプが並んでいます。手で鳴らす巨大なガラス製のパンフルートみたいなものに見えました。
音色は透明でちょっと茫洋としていて、どこかおまぬけでユーモラスな感じ。
テルミンやオンド・マルトノにアンデス(鍵盤笛)をたしてアコースティックにしたような音です。
(しろうとの演奏会でルチア狂乱の場を無理無理やるなら、アンデスが伴奏楽器に使えるかなあ、などと妄想)
おフランス怪奇人造美女物語のBGM(アダリーが起き上がるところ)に使えるんではないでしょうか。リアルタイムのネオ・ゴシックは日本人の「異端」趣味の人が思っているよりも、きっとはるかにもっとユーモラスなんだろうとふと思いました。
ヴェロフォン、高いだろうけど一回さわってみたいですね。
レッケルトのユニットのウェブサイトはこちら。素敵。
楽器のデザインもいかしてます。
http://www.sinfonia-di-vetro.de/

あの音色から考えると、エドワード君の亡霊、結構可愛いんじゃないでしょうか。

すみれちゃんの「花から花へ」でアルフレードのパートを弾いていた東フィルのチェロのトップのお兄ちゃんもノリノリで旨かった。

アンコールでムゼッタのワルツが聴けたし、もう幸せいっぱいです。

「私は自由よ」のすみれちゃんの歌も
ムゼッタちゃんも
姐さんがレパートリーにしている《アルチーナ》のモルガーナの役どころを思い出させるものが。笑
YouTubeをさがすと「いけないメイドさん」のモルガーナの画像が出てきて非常に面白いです。

自由、平等、博愛。
おふらんすだなー。

姐さん、エリュアールの詩による歌曲(プーランク)とか歌ったら
ピッタリだとおもうんですが…。


プログラム冊子に転載されていたLe Monde de la Musiqueのインタビュー記事・メットでの《ルチア》評判記の語録も印象的でした。語録ちょっと抜粋します。

--型にはまったルチアはもう十分。生きている作品が歌いたい。

--すでに経験しているもの以外を求めない観客の希望に応じる必要はない。必要なのは人々を驚かせ、新しいものを差し出すこと。見慣れたものや、凡庸で時代遅れの作品を人に勧めたくはない。

--ずっと若いときに女優になりたくて、舞台を通してオペラの世界を知りました。でもオペラが私を選んだのであって、私がオペラを選んだのではないのです。自分には声があることに気づき、たぶん単に女優としてよりも、歌う声を使った方が舞台に上がるのが簡単だろうと思ったわけです。

…姐さん、ついていきます。
こんどはぜひオペラ本体で姐さんを見たいですね。

次はレッド・プリーストの笛吹海賊を見に行ってきます。またご報告します。

| | Kommentare (0)

19. Februar 07

エマ・カークビー

エマ・カークビーを聴きに行った。

オクスフォード大学古典学部出身の世界的古楽ソプラノ歌手。
のびやかな唄いぶりと、その経歴もあいまって、長年の憧れの人である。ついに聴くことができた。
武蔵野市民文化会館のお値打ちチケットはほんとうにありがたい。

なまえまさんはやはり年齢不詳だった。ラヴリーでおくゆかしい立ち居振る舞いがいかにもオクスフォードの古典学部出身の女性共通のなにかを感じさせて、思わずニヤリ。あの陰鬱な図書館のあたりでお見かけしてもまったく違和感がなさそうだ。フューシャ・ピンクのタフタのジャケットと、ペパーミントグリーン地の花柄のツーピースドレスの衣装も、イギリスのおばちゃんならではの選択で、ますますニヤリ。ふわふわの金髪は染めているみたいだった。
なんというか、カークビー家の客間に招かれておいしいものをいろいろごちそうになったあとに、女あるじの歌をリュートのおじさんの伴奏でたくさんたくさん聴かせてもらったような気持ちのする演奏会だった。ダウランドとパーセルのリュートソング特有の純粋な情念、とりわけ純粋なかなしみの世界が、あののびやかな声で自由自在に歌われると、もう、それだけでひきこまれてしまう。日本の古楽合唱界のある領域ではなにかと自我と声の芯を殺した歌い方が推奨されて、どうにもなじめないものを感じることがあっただけに、古楽でも芯の通った、自我のしっかりと立った歌い方で歌っていいのだ、と安堵する。メランコリックなあこがれでいっぱいの光り輝く古典趣味に彩られた16世紀17世紀の息吹を呼吸するようにごく自然に表現する歌いぶりも、やはり安心して聴いていられる。ああ、あの時代に書かれた歌も、あたたかい血の流れる人間の音楽なのだと感じさせるには、やはり素養は大切だ。
彼女の歌は録音よりライヴのほうがずっとずっと良い。
録音では冷たく鋭利に聞こえてしまって、声のあたたかみやひろがりが消えてしまう。

ヤーコプ・リンドベルイのリュートも洒脱で品のある演奏で、好感がもてた。彼は眼鏡をかけると「アムランのお兄さん」風、眼鏡をはずすと「ハフのお兄さん」といった風情で、芸風は二人のちょうど中間だ。
あのリュートは現存する最古のリュートのひとつだそうで、日頃のお手入れの苦労がしのばれる。

ところで、会場で会った友人が、波多野睦美さんの歌い方がますますカークビーにそっくりになっている、と指摘していたけれど、確かに波多野さん、カークビーの歌い方も服装も髪型もかなり意識しておられるのだろうなあ、と感じた。尊敬する師の演奏の型に似ようとする演奏は、日本的な芸道観のなせるわざだろうな…
古典学の素養も手中にしたら無敵なのに…。
残念ながら日本はそういうお土地柄ではないっぽいな。

ところで、今宵のダウランドの演奏はなんとはなしにケイト・ブッシュの唄と唄いぶりを思い起こさせるものがあった。リュート独奏曲もなんとなくモサラベっぽい響きがして面白いのね。
「僕を暗闇にいさせてくれ」の慟哭と、最後のフェイドアウトするストップモーションなんて、ケイト・ブッシュとか、ヴァシュティ・バニヤンのアルバムに入っていても違和感のない曲かもしれないな。意外にモダンでポップ。スティングもパーセルをいれたことだし、ぜひ(妄想)

ダウランドもパーセルもまた唄ってみたくなった私なのだった。ピアノ伴奏はかなり無理があるなあ。

しかし、ヤン・ファーブルのカンパニーにも哲学科出身の人が結構いるようだったけれど、古典学科や哲学科から芸術家を輩出する文化的背景、非常に非常にうらやましいかもね。

| | Kommentare (0)

13. Januar 07

ハイカルチャー志向の朗読会

母教会のお友達と一緒に、ひさびさにR神父さま@上智のお祈りの会に行ってきました。
よい会でした。
神父さまお元気そうで安心しました。
来月も出よう。


銀座のギャラリー・アートポイントで中村恵美さんが朗読会をしたので、聴きに行ってみました。天童大人氏プロデュースの「巡回朗読会」です。現代詩の世界ではいまどき貴重なハイカルチャー志向の朗読会です。これをきちんと続けていけば、海外に出しても恥ずかしくない朗読文化ができるようになるだろう、という趣旨には、まったく同感です。
中村さんの「十字路」の朗読、宝塚系女優一人語りラジオドラマ(時代劇)みたいでした。長崎の隠れキリシタンの歴史をイメージ・アートフォーラム系の映像で綴ったような詩集なので、なるほどそういうアプローチで来るかと思いました。時代劇的な語り口を手中にしておられるなあと思いました。

おおげさなことばを詩の中で使うと、眼では衝撃的でも、耳で聞いたときにはちょっと自然でないかもしれない、とか、人前で朗読したときに自分でどう思うかが、書くときの重要な基準にもなるだろうなあ、とか、聴きながら、いろいろこれからの課題も感じました(自戒も込めて)。

しかし、聴衆が友達と身内だけ、ってのはもったいない。
やっぱりきちんとした書法で書かれた詩歌は散文を読むよりもはるかに濃密で凝縮された時間の体験をもたらすものですし、この「巡回朗読会」のシリーズはハイカルチャー志向であることをきちんと出して、いろいろな人が宣伝していくといいのではないかと思いました。

中村さんの小さいお嬢さんがじっとおかあさんの朗読をきいていました。大人でも難解な詩をじーっときいてる君はおりこうさんだねえ。偉いなあ。

ちなみに、ギャラリー・アートポイントには7kgねこの「ジョットー」がいます。
おなかと脚が白くて、背中と頭の上半分がきじとらです。

うわあ、猫だあ!!猫大好き!!

おもわずみっちりした猫を抱き上げてなでなで。
うさぎもいいけど、やっぱり、猫、かわいいかも…。
(2004年に実家の猫が19歳で死んで以来、身近には日常的に気安く近寄れる猫がいないのでした)

天童さんともちょこっとお話しましたが、一発で私は「歌を歌う人」「詩人以外になにか表現活動をしている人」と見抜かれましたねえ…

なんだか、社会問題宗教問題にふれると、この日記の読者、減るみたいですね…
そりゃ、いつでも元気で、おいしいもののことなんか書いていられれば、なんでしょうけれど…
ちょっと運営方法を検討しよう。

| | Kommentare (0)