パウンド先生ご真影
アンリ=カルティエ・ブレッソン展、最終日の午後に行ってきました。
エズラ・パウンドのご真影が神々しかったです。
やあケフコ、いい詩書いてるか?
おまえニシワキを知っているよな?
良い詩を書けよ!
と語りかけるような表情でした。
おもわず手を合わせたことはいうまでもありません。
それはともかく。
今回の展覧会は世界巡回中で、日本では近美だけの開催だそうです。最終日の夕方で混んでましたが、美術館涼しいし、いやなこみかたではありませんでした。学生さん多し。図録は売り切れだったので予約しました。
アメリカとソヴィエトのシークエンスが印象に残りました。イデオロギーの書き割りのなかに生きている生身の人間をユーモアと哀しみと共苦とをもって描き出す視線を感じました。移民船の到着、ソヴィエトの父と子と怪しい支配者像、陋巷のGod Bless AmericaやJesus Comes Soonなどに胸を打たれるものがありました。
中国や中東や日本やインドの写真はしばしばなんだか格好良すぎて気恥ずかしかったです。
組み写真を解体してひとつの独立した作品として展示していた作品もかなりあるよと既に行った人からきいてましたが、むむ、御意。ヨーロッパ篇冒頭のデッサウの写真が組写真なのは実は後半の雑誌篇のところでわかるのです。あれはやっぱり4枚一組で見たかった。ソヴィエトの写真も実は連作になっていることが、雑誌篇のところではじめてわかります。連作性の強い短歌を無理無理に独立した作品として鑑賞しようとしているような感覚に襲われました。
オリジナルプリントの、シルバーゼラチンプリントならではの深くやわらかい闇の色や、掉尾の荒々しい力を秘めたドローイングも魅力的でしたが、肖像写真部門が実は面白かったです。球体関節人形をもってポーズをとる不思議ねえさんレオノール・フィニとか、鳩となかよしの晩年のマティスとか、作家や画家の面構えには不敵な気品が満々でした。眼光鋭いフランシス・ベーコンが格好良かったです。「さあきみもキャプションをつけてみよう」と遊んでみたいような写真がたくさん。
芋の葉に隠れる若き日のトルーマン・カポーティがはちみつでできたようなアメリカン美青年で驚きました。『ティファニーで朝食を』は(もと)美青年の文学であるか。
ブレッソン自身のポートレイトもたくさん出ていました。眼光明晰で額の広い顔立ちの、背の高い、結構な美男子です。ルノワール映画のスチール写真に出てた若い神父の役がピッタリ。隣に並んだバタイユ先生の怪しい神父振りと合わせてみるとかなり可笑しいです。なるほど美男子の撮る写真であったか。
非常にinspiringな展覧会だったのは確かなので、図録が届いたらじっくり読み込んでみようと思います。
同時開催のアンリ・ミショー展は、書き手の頭の中で暴れ踊る擬人化された甲骨文字(のようなもの)のドローイングをこれでもかと見せられているようでした。もちろん時代が時代なので、メスカリンを一発決めて描いたばらいろ甲骨文字状文様群のドローイングもありました。そういえば多田智満子も神谷美恵子のもとでLSDを「服用実験」した体験をもとに宇宙空間に回転しながら浮かんでいる巨大な薔薇の詩(「薔薇宇宙」)を書いた時代があったなあと思いました。
