13. August 07

パウンド先生ご真影

アンリ=カルティエ・ブレッソン展、最終日の午後に行ってきました。

エズラ・パウンドのご真影が神々しかったです。

やあケフコ、いい詩書いてるか?
おまえニシワキを知っているよな?
良い詩を書けよ!

と語りかけるような表情でした。

おもわず手を合わせたことはいうまでもありません。

それはともかく。
今回の展覧会は世界巡回中で、日本では近美だけの開催だそうです。最終日の夕方で混んでましたが、美術館涼しいし、いやなこみかたではありませんでした。学生さん多し。図録は売り切れだったので予約しました。

アメリカとソヴィエトのシークエンスが印象に残りました。イデオロギーの書き割りのなかに生きている生身の人間をユーモアと哀しみと共苦とをもって描き出す視線を感じました。移民船の到着、ソヴィエトの父と子と怪しい支配者像、陋巷のGod Bless AmericaやJesus Comes Soonなどに胸を打たれるものがありました。

中国や中東や日本やインドの写真はしばしばなんだか格好良すぎて気恥ずかしかったです。

組み写真を解体してひとつの独立した作品として展示していた作品もかなりあるよと既に行った人からきいてましたが、むむ、御意。ヨーロッパ篇冒頭のデッサウの写真が組写真なのは実は後半の雑誌篇のところでわかるのです。あれはやっぱり4枚一組で見たかった。ソヴィエトの写真も実は連作になっていることが、雑誌篇のところではじめてわかります。連作性の強い短歌を無理無理に独立した作品として鑑賞しようとしているような感覚に襲われました。

オリジナルプリントの、シルバーゼラチンプリントならではの深くやわらかい闇の色や、掉尾の荒々しい力を秘めたドローイングも魅力的でしたが、肖像写真部門が実は面白かったです。球体関節人形をもってポーズをとる不思議ねえさんレオノール・フィニとか、鳩となかよしの晩年のマティスとか、作家や画家の面構えには不敵な気品が満々でした。眼光鋭いフランシス・ベーコンが格好良かったです。「さあきみもキャプションをつけてみよう」と遊んでみたいような写真がたくさん。

芋の葉に隠れる若き日のトルーマン・カポーティがはちみつでできたようなアメリカン美青年で驚きました。『ティファニーで朝食を』は(もと)美青年の文学であるか。

ブレッソン自身のポートレイトもたくさん出ていました。眼光明晰で額の広い顔立ちの、背の高い、結構な美男子です。ルノワール映画のスチール写真に出てた若い神父の役がピッタリ。隣に並んだバタイユ先生の怪しい神父振りと合わせてみるとかなり可笑しいです。なるほど美男子の撮る写真であったか。

非常にinspiringな展覧会だったのは確かなので、図録が届いたらじっくり読み込んでみようと思います。

同時開催のアンリ・ミショー展は、書き手の頭の中で暴れ踊る擬人化された甲骨文字(のようなもの)のドローイングをこれでもかと見せられているようでした。もちろん時代が時代なので、メスカリンを一発決めて描いたばらいろ甲骨文字状文様群のドローイングもありました。そういえば多田智満子も神谷美恵子のもとでLSDを「服用実験」した体験をもとに宇宙空間に回転しながら浮かんでいる巨大な薔薇の詩(「薔薇宇宙」)を書いた時代があったなあと思いました。

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07. Juli 07

ロシア国立美術館展とこんぴらさま

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原稿の締め切りに追われていますが、うつくしいものをみたい、という渇きいやしがたく、展覧会を見てきました。音楽だけではやはりたりないものがあります。
東京都美術館で7月8日(明日)まで開催中の「国立ロシア美術館展」です。
18世紀後半からロシア革命前夜にかけてのロシア絵画・彫刻の特集です。
ザンクト・ペテルスブルクの国立ロシア美術館の所蔵作品が展示されています。
もちろんイリヤ・レーピンの作品もたくさん来ていますが、その周辺の画家たちの作品も負けず劣らずすばらしい。
北国の透明な光と影への感受性、水色の澄んだ空と暗い水、布地や草木の葉や雪の表面の質感まで実物以上にリアルに気品をもって再現する超絶技巧的細密描写、もう鼻血ものでした。こういうのもう、大好き。カスパール・ダヴィッド・フリードリッヒやセガンティーニが好きな人ならきっと楽しめます。

これを見ると、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティやバーン=ジョーンズの作品がテク・構図・着想とも垢抜けなく感じられたりするかもしれません。

イヴァン・アイヴァゾフスキー描くところのスケールの大きな海景画の、嵐のときにも透明な青緑の光をたたえた水や、イヴァン・シーシキンらの描くふんわりとつもった雪に乱反射する光や森やくさかげの色の移ろいを描いた風景画が実にすばらしい。これは実物を見るにしくはない。そして、肖像画もそれぞれとても印象的です。誇り高い人間たちがいます。男女ともに媚びを一切排した存在感。子供から老人まで味わいのあるハンサムも目白押しです。
ドミトリー・レヴィツキ描くところのエカテリナ2世の、男以上に貪婪な精力をたたえた眼と肉体を輝く絹の衣装に包んだ肖像はただただ感服ものです。レヴィツキは尋常ならぬ執念を込めて重たくすべらかな白い絹の質感を描いています。縫い目のところの布の微妙なふくらみまでみごとに再現されていました。ソーイング者必見です。

イリヤ・レーピン描くニコライ2世陛下、スマートです。怜悧でさびしげなまなざしとおひげがすてき。

宗教画では、ヘンリク・シェミラツキの《マルタとマリアの家のキリスト》が感動的です。このエピソード、もともと好きなのですが、この絵の透明な光と影の階調はほんとうに美しい。とくにうすむらさきと緑色の微妙なグラデーションが繊細ですてきです。地中海の明るい光のふる葡萄棚の庭でイエスとマリアが語り合っている絵なのですが、マリアはふくふくの頬の健康的な女の子だし、イエスさまがかなり男前です。マリアの服のセルリアン・ブルーも上品です。マルタは橙色の服を着たごつい働き者のおばちゃんとして描かれています。しかしなんてしあわせそうなひとたち。庭の鳩たちもふかふかと、いまにも飛び立ちそうで愛らしい。会場では画幅中央右側に描かれたマリアのそばに立つと照明の加減で光がイエスさまに当たって画布がぎらぎらと光ったり、もうすこし離れて全貌を見ようと試みるとまた別の場所が光ってなかなか全貌がとらえがたかったりもして、神秘的でした。

ウクライナの風景やヴォルガ河流域の風景を描いた作品もいろいろあります。どちらも光線がぱっきり乾いていて空の色が澄んで鮮烈ですが、ヴォルガ河流域のほうがより光線が強く、苛烈なかんじがします。

会場は、思ったよりは混んでいませんでした。人の流れはとぎれませんが、空間的時間的に余裕をもって鑑賞できます。画学生ふうの若い人(女性おひとりさま多し)と、ロシアに憧れをもっていそうな中高年の夫婦が多そうでした。明日(8日)までなので、お近くの方はぜひ。

ちなみに、この展覧会はこれから

金沢21世紀美術館(8/25-9/24)
愛媛県美術館(10/3-11/11)
サントリーミュージアム(天保山、11/20-2008/1/14)
東京富士美術館(1/24-3/23)
と巡回します。

もういちど東京富士美術館に見に行くかもしれません。

芸大博物館で今日からはじまった「金刀比羅宮 書院の美-応挙・若沖・岸岱-」はロシアの風光とはまったく対照的な世界です。しかし、なごみます。

ふくふくユーモア生物の虎たちを描く円山応挙、息詰まるような細密デザイン感覚の若沖の植物文様、吹き抜ける光と風を感じさせる金箔の背景に胡蝶の群れや柳と水鳥とかきつばたを描く岸岱らのふすま絵が出展されています。やわらかな照明の下、もとの部屋の形状にあわせて襖絵が展示されています。ゆったりと自然なみごこちです。

展示品すべてがオリジナルというわけではなくて、キャノン(だったかしら?)の高画質インクジェットプリンターを遣った複製が一部展示されています。キャプションにはどこからどこまでがオリジナルで、どこからが複製か示されていますし、複製の画質も遜色なし。

地下の展示室には、絵馬や祭具も展示されています。民俗への興味も満たされる、かもしれません。カメラ目線の駻馬の絵馬がそこはかとなく笑いを誘います。

なお、同時開催の芸大コレクション展「歌川広重《名所江戸百景》のすべて」も見られます。東京がまだ緑に覆われた水の都だった時期の風景画、地平線の青みのかった紅と川の深い青色があだっぽくも、粋です。シャープな描線で描かれる風景の構図はほんとうにカッコイイ。ぜんぜん古びていません。こんど図版を買いに行こうと思います。ジャポニズムの画家たちが試みた広重の模倣例も展示されていますが、描線が太くてマチエールが分厚いせいか、やっぱりどことなくやぼったく感じられます。
なるほど和物の題材は短歌には自然に遣いやすいかもな、と見ていて思いました。

金刀比羅宮展・広重展は9月9日までです。

ちなみに金刀比羅宮展の公式ウェブサイトはこちら
えっっ、公式音声ガイドのナレーション、片岡愛之助さんなの?
あらまあ
展覧会記念Tシャツのデザイン(岸岱の胡蝶図)もステキだったし、もう一回行くかも…

渇きは癒えつつあります。
展覧会を見たあとは宇治茶氷できまりです。次は近美のブレッソン展+アンリ・ミショー展だな。

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18. Februar 07

ヤン・ファーブル「わたしは血」

☆しばらくこの記事を一番上においておきます☆

「私たちは2007年に生きているのに、まだ中世を生きている。終わらない中世を生きる私たちの体内に、液体の肉体であるところの血が流れる。血は私たちの脈打つ祝福された生命。私たちは中世人になるために身体をきりきざむ。でも中世は終わったのだ、私たちはもはや中世には生きていない…」
というわけで、彩の国さいたま芸術劇場にヤン・ファーブルを見に行った。

ヤン・ファーブル、天才!!!
いやーおもしろかった!!
よく考えるとかなりグロい話なのだが、あっけからんとしたユーモアもあって爽快。ダンサーの鍛えられた身体と所作に無駄がないから、退廃的に見えない。腕もあらわな黒いドレスでコーデックスを頭にかぶり、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンのラテン語文を怪しげに妖艶に朗唱する語り手(魔女にも聖女にもみえる)と、エメラルド・グリーンの服の、漏斗をあたまにかぶった男女の外科医と、Butohの動きでくねくね踊ってすぱすぱ葉巻をふかして僧侶や兵士や乙女や外科医をからかう西洋赤ふんの愚者(おしりがキュート)が絶妙。武具をつけた兵士の踊りはなんとなくギュムノパイディア風なのだけれど、よく見るとすね当てが胴着にガーターで吊ってあって、黒のボクサーパンツのおしりが出ていて、後ろから見るとセクシーでキュート。騎士の装束の男がひとりフェンシングでうぉおとうなり声をあげながら悶絶している。
兵士が現代のフランスの大都市郊外の貧しい若者(うにくろのフリース様のフードのついたパーカーとズボンをはいている)にかわり、白衣の花嫁と僧侶に変身するあたりもかなり笑えた。なにしろ処女喪失の演出がすごい。フードをかぶった若者がぺたぺた女の子着替えのように身体を洗ってるのはなぜだろう、中世のぐろい肉体蔑視のせいかしら、と思っていたら、現代風のウェディングドレスをひらひら嬉しそうにふって「私の体内に新しい私ができる」とおぱんつをみせたらあらまあおばちゃんびっくりだわ、股に血糊をつけていたのだった。僧侶がチューバとエレキでギュイ~ン(これはローザスのある作品の引用なのかもしれない)、踊っているうちに裸に剥かれてオッパイポロリの女の子たちとおちんちんぶらんぶらんの裸の男たちがキャーキャー。女の子たち、てのひらについた血糊を裸の男どもにぺたぺたつけてはしゃいでる。うわー、2月14日付近に上演なんて、ルペルカリアからヴァレンテイノ祭とか、カーニヴァルそのものじゃないか。やるじゃんさいたま&カンパニー。愚者がやってきて、昏倒している野郎どもの股に胴着を貞操帯よろしくはめてしまうのだが、胴着の首が出る部分は開いているものだから、股は丸見えなのである。「私たちは際限なく飢え乾いている」「人間はまだ自分が猿ではないと思って暮らしている」のナレーションが爆笑モノ。でも、血抜きの儀式(血分けの儀式ではない)のところはもっと盛大にピューピューやってもいいんじゃないかと思った。陰鬱に血の気を抜かれてから、みんなでうぉぉぉんと狼の遠吠え(これはヨーゼフ・ボイスを思わせる)。裸の男女が乱舞するアヤシイ分派のサバトをあっけからんと健康的にたのしそうにやっている。もち、前ばりなし。語り手の女が血管の学名の朗唱と、歩みをとめるとストップモーション。ヒエロニムス・ボス風のスーパーリアリズムの美しさ。最後にテーブルを立てて68年革命のバリケードみたいにして、向こう側から身体を洗う血糊の入った水が出てくる。黒衣の語り手の女が、いかにも古めかしいコーデックスをぱたん。暗転。

中世のキリスト教世界のグログロしいフォーク・カトリシズムとか、ヒルデガルト(とドイツ神秘主義)とか、カトリックの典礼における聖餐の意義とか、中世の医療の話とか、そういうのに親しんでいる人なら三倍以上おいしいし、ダンスがよくわかる人なら5倍以上おいしいのだろう。「私たちは中世人になるためにからだを切り刻む」のテクストが凄絶だった。リストカットごすごす娘にもぜひ見てほしいぞ。猥雑だけれども、いやらしくなくて、かえって爽快、というのは、さすが。天井から何百枚何千枚のお皿がっしゃーん!の演出をしてしまうひとだものね。

もっとも、くそまじめな人には通じない世界ではあるかもしれないけど。
歴史畑思想史畑の知り合いたちがどう見るかはきいてみたいような気もした。まあ、あんまり期待はしてないけど。リアルな、なまぐさーい歴史こそほんとの歴史、とか言ってるやつにかぎって、こういうのには怒り出したりもするものだ。
アラン・ド・リベラの臭いたつような『中世知識人の肖像』が大丈夫な人なら、大丈夫。
(個人的には、リベラも天才だと思う…)
踊りはいいな…。あの、ピシッピシッと正確に所作が決まるのがすごい。
ともかく、ヤン・ファーブルのカンパニーが来たらまた見に行きたいと思った。

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19. August 06

ルーヴル展・若沖展

□ルーヴル展を金曜日にやっと見てきました。
今週末までの会期で、朝10時でもけっこうな混雑でした。
親子連れ、学生風の若者たち、美術好きのおばちゃまおじちゃまが結構多かったかもしれません。
11時半ごろにはもう入り口は長蛇の列でした。
日本にはこんなに古代地中海世界愛好者がたくさんいたのか?
驚きました。励まされました。うかうかしてはいられません。

それにしても生のギリシア彫刻ヘレニズム彫刻はやっぱり良いです。
題材によっては、いいものを神々にささげるのだ、という気概(と、そのなごりのようなもの)が伝わります。
往時はあれに色が付いていたわけですが、その様子を想像するのもわくわくします。
(今回出展されているものには、うっすら塗料の色が残った少女の墓碑もあります)
やっぱり好きだなあ…。

一見してさすがルーヴル、お目が高い。いいものを集めているなあ、と思いました。
subtleな美しさあふれるものもかなりあります。大英博物館やフィッツウィリアムあたりで見慣れた壮麗ではあるけれどどこかごついブツとはだいぶ美意識が違うかもしれません(ケンブリッジ大学の古典学科附属考古学博物館の、せまーいところに押し込められた雲のような模刻の迫力は一種息苦しくさえあります)。
しかも日本をなめちゃいません。中品小品が多いですが、どれもどれも美しい。一見してこりゃいかんわ、と思うようなものはほとんどなかったと思います。
1階にギリシア人の日常と生活にかかわるものを並べ、3階に「神々の世界」を並べる展示もグッドアイディア。
混雑しているわりには、落ち着いて見られました。
あの、修士課程時代にとても退屈な思いをして読んだ帳簿碑文も、文字からしてあっけからんと晴朗だし。そうそうこの晴朗さなのです。どっろどろで苛烈な世界のはずなのに、晴朗なところにやっぱり惹かれます。
神格や有名人の性格の描き分けをじーっと見ていたり、しゃがみこんで碑文を読み、デーモステネース先生ソークラテース先生の胸像に手をあわせて一礼し、アリストテレース先生の素敵なひたいをあやかりたいあやかりたいとさわる自分は変な人でした。
ソクラテス先生、ロンドンの師匠にそっくりでした。プラトン先生はたいへん陰気なお顔でした。トゥーキューディデース先生かっこいいです。えはがきはソクラテス、プラトン両先生はありましたけれど。
(作品にさわるのは、よいこはまねしないでね)

美女はもちろんすばらしい。処女神はやっぱり処女の誇り高い、強い、穢れのない顔だし(日本ではちょっと、こういう美が、ちかごろ軽んじられていませんかね)、おくさまのかみ(ヘーラー)はふんわり包容力があるし。アプロディーテーたちに結実した懐の深い女性美。あの太ももはさわってみたくなるかんじです。テラコッタのキュベレー像をじーっと見つめていたら、キュベレー像がにこーっと笑ってくれたような気がしました。
美男子はなおさらです。(結局それかよ自分)
表情のつかのまのはかなさやうれいときたら、もう。
どみちゃん風にみえるものもいくつかありました。(謎)
万国共通美男子フォーマットに入るバランスなのでしょうかねえ。(謎)
折口信夫が随喜の涙を流しそうなアスリートたちのふくらはぎも実に素敵。
おもわずさわってきたことはいうまでもありません。
美男子ではかならずしもないキャラクターですが、《エリクトニオスの誕生》のヘーパイストスの憂いと苦渋の表情にぐっときました。
(さわるのは、よいこはまねしないでね)

図録も秀逸です。良い仕事してます。励まされました。

3階の展示出口のところで売っているルーヴルスペシャル子供向けパンフレットの「古代ギリシアのこどもたち ルーヴル美術館こどもギリシア手帳」も素敵です。
ルーヴルの古代ギリシア・ローマ部門の主任学芸員、Jean-Luc Martinez氏の著作、貴族のこどもたちが自分たちの日常生活を語る、という設定で、生き生きと簡潔な文章で書いています。宗教生活とか、市民の家庭生活とか、いわゆる社会史・文化史のキモのところがよーくわかります。
しかも、貴族の子供たちの気品がとても自然に描かれています。
おふらんすでそういう研究をするひとはやっぱりそういう文化につながるところを生きてるのかもしれないな…
固有名詞の訳がフランス語読みだしい、なんてやぼなことを言うのはこのさいよしましょう。
良い仕事してるなあと思いました。こういう本、日本にもぜひ必要です。
明日行かれる方はぜひ買いましょう。

ユリアヌスのめちゃかっこいい胸像が、実はルーヴルにあるのです。(今回は来ていませんでした)
やっぱり作例はたくさんみなくてはです。
来年こそはパリとギリシャに行くぞー。

ちなみに、フランス産のルーヴルえはがきも来ていましたが、アプロディーテーの腹部をクローズアップでとったり、かなーり艶笑系もありました。オホホ。名宛人を選びますよね…。
こればっかりはBMやフィッツウィリアムあたりにはないものです。さすがおフランス(!?)

□かきごおりを食べて「若沖と江戸絵画」展へ。
アメリカ西海岸のコレクター(ブライス夫妻)のコレクションからの出展。
「自分がほんとうにいいと思ったものしか買わない」という主張も徹底しています。
円山応挙の切れ味するどいわざの凄み、酒井抱一一門の繊細優美な写実感覚デザイン感覚、あたりが個人的にはみどころでしたが、なにしろ、若沖の屏風がサイコーです。
水墨画の鶴や植物の余白と線の美もさることながら、やっぱり鳥獣屏風でしょう。
青い青い空、桃李の森とふさふさの芝生のなかに、動物たち鳥たちが実にハッピーに生きています。
虎さえも小動物をおそわず、いたずらっぽい眼をしています。
そして、あの、まんまるい白象の福々しいこと!
あれは、日本人にしか描けないパラダイスでしょう。
方眼をぬりわける画法ですし、ぜひ、どこかのお風呂屋さんにタイル絵でコピーしてほしいです。
そういうお風呂屋さんがあったら、喜んで行きます。(喜)
照明のあてかたを工夫した展示(第4室)もオモシロイ!
源氏物語屏風など、金色の雲につつまれた夢の宮廷ぶりが実によくわかります。

洋もの中東もの漢ものと鎖国時代の和物を比べてみると、和物が時々あんまり辺境っぽくてがっかりすることもあります。
V&Aの、あまりよくないものを高値でつかまされたな?て感じの陶器とか、台北の故宮博物院にある妙な絵巻ものとか、イスタンブルのトプカプ宮殿にある明治政府からの「下賜品」の変な金細工とか…。

今回はあまりその辺境っぽさは感じませんでした。展示の妙もあるのでしょう。鎖国時代の日本のアートに現れた巨匠が、中国や前時代の模倣をこえて、いかに技と想像力の領域を拡大したか。そのあたりに注目すると、結構ハッピーに観られるでしょう。

「ルーヴル美術館」展は明日20日まで、東京藝術大学美術館で。そのあと京都市美術館(9/5-11/5)に巡回するそうです。
「若沖と江戸美術」展は27日まで東京国立博物館で。
そのあと、京都国立博物館(9/23-11/5)、九州国立博物館(2007/1/1-2/25)、愛知県美術館(2007/4/13-6/10)に巡回するそうです。

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08. August 06

清里蕎麦&天文写真ツアー(けいもぱ)

□実家面子と夫とで清里の某アート蕎麦屋(幼なじみ一家)に蕎麦を食べに行った。ふるいたてもの改装計画のみごとな見本。イナカにありがちな和風ドライブインの建物が、内装外装すっかり工夫して、あそこまでかっこよくオサレになるとは。しかも美味で眼にも舌にも創造的な料理の数々。熊がでる沢でとったという岩魚の唐揚げもおいしかった。
さらにパワーアップしていて、いつもながら驚く。

清里写真美術館(けいもぱ)を見た。建物がシンメトリーで美しい。芝生ふかふか(セント・アンドリュース以来!裸足で歩くにきまっている)、茶花さやさや。国立天文台後援企画の天文写真展「はじめての宇宙の歩き方」のセンスが良い。11月末までやっているそうなので、あれはまたゆっくりみたいなあ。David Malin(色彩と構図がシャープで美しい!!)の写真集はニュートンや誠文堂新光社(ラヴ!)からでていて、下界でも買えるだろうから、Neil Folbergの写真集を買った(高かったけどぼってはいない)。ただいま戦争中の中東某国の遺跡と夜の星々が月明かり星明かりの長時間露光で、夢幻的にファンタスティックに撮られている。世俗を超越したある種の花咲く永遠性の世界。ああいうのみると、ヘブライ語勉強したいなあとか思ってしまうのだよなあ。ただし昆虫的な妖しさはないので、タルフィアン向きではないかもしれない。Folbergは世界のシナゴーグの写真集も撮っているそうなので、アマゾンか黒泉堂で捜してみよう。展示されていたシルバー・ゼラチン・プリントのうるんだ質感と、写真集の写真のぱきっと明快な質感はだいぶ違うかんじだったけれど。
いきなり展覧会のエントランスに「掌の上に宇宙を見る」のエピグラムが貼ってあった。ブレイクだ。吊ってあった花巻の隠者・賢治せんせいの「生徒諸君に寄す」の垂れ幕を(私を励ますつもりで)朗読するハハ(←若い頃は(たぶん今でも)立原道造の熱烈ファン)。現代詩業界では賢治せんせいっていいねえ、っていうとけげんな顔されるんだよねえ、と言うと、なんでなんで、と怪訝な顔をする。賢治の宗教的英雄化には私だって辟易するけれど(イェイツらによるブレイクの幻視者化とかの例もあるし、どこの国にもありえる話だけど)、そりゃそう思うだろうなあ。
新人作品展のにょろにょろや死にかけ人形のような変なオブジェを冷やかす。しろうとでも調和がとれていないとわかるものをなぜ造って置く…と庵主。

イノベーション著しいという清泉寮にとまりそびれたので次回はぜひ泊まろう。
夏は最高気温28度くらいが自分にはちょうどいいなあ。

清里の駅前は相変わらずファンシイでキッチュで、色褪せた80年代がそこにとどまっているようだった。
文字やオブジェならともかく、具体的な集落の光景としてヴィジュアル化されると、なかなか凄惨ではある。

□ダヴィンチ9月号に出ていた「テルプシコラー」を立ち読みする。トゥオネラで踊る千花ちゃんに思わずもらい泣き。六花ちゃんけなげ。

□翻訳、ゲラ、書き物(詩と評論ではない)進行中。伊勢丹新宿店のBPQC(一大アロマフロアと化しつつあってびっくりだ。もう、あれは、数時間いても飽きないでしょう)で買った「Analytage」(Analy%と綴る)のすばらしいゼラニウムの香油をかぎつつ。ティートゥリーとクラリー・セージもほしいかも。けっこう良いお値段するけど、植物の力はせちがらい都市生活の必需品でしょう。
近所のやすうり超級市場で香味野菜をいろいろ買う。
それにしても採点しなきゃなあ。

□詩集の金策になんとかめどがつく。ふふふ
玲瓏のもりいさんからご連絡いただく。そのうち「玲瓏」につかもとせんせいワンテーマなにか書くことになるらしい。キリスト教ねたかなあ。これはかなり準備がいるなあ。

□きょうはすこし涼しいけれど、こう蒸し暑いと、どみちゃんの弾く光り輝くようなスケ2とか、セント・アンドリュースの海がなつかしいな(遠い目)。
夏にも耳がシベリアのハフ先生のラフマニノフとかショパンとか聴く?

□そう、書いていてつらくなることは書きたくないので、しばらく辛口批評はお休みにします

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07. November 04

エミール・ノルデ展

今日が最終日のエミール・ノルデ展を観に東京都庭園美術館へ。水彩と版画が120点余りのこぢんまりとした展覧会。ノルデの作品をなまみるのは98年にバルセロナのカーサ・ミラ(*)のギャラリー・スペースを会場に開かれた展覧会以来。そのときにみた海の絵はいまも忘れられない。みるものの胸をえぐりとるように藍色の波がせまってくる。都市そのものがふんわりとゆめみるような港町、バルセロナの空気そのままのガウディの建物のなかでとおい北方の海をあこがれる。植物のようにたおやかな曲線にいろどられたガウディのたてものも、両手をひろげてもまだたりないほどにおおきなノルデの海の油彩も、いまも強烈な印象をもって思い出される。海の絵のポスターは実家の壁に貼ったままである。

こんどもまた歴史的建造物のなかでノルデをみる。宮家にふさわしい端正な品格のある住居の壁、ほのぐらい照明のなかに北国の海や花や盛り場のひとびとや日常を生きる聖者たちがうかびあがる。夏の光をすかして罌粟の花弁がひるがえる。晩年、ナチス政権から「頽廃芸術」の烙印を押されて活動を禁じられたノルデが北ドイツの邸宅にこもって制作した「描かれざる絵」がとりわけ印象的。聖者たちや男女のまぼろし、両手に載りそうな画幅からあふれだす波のみえる風景。できるなら油彩で描きたかった画題という。幾重にも塗り込められた水彩の暗い透明感のある色彩が心につきささるよう。
もちろん図録を買う。

(*)アントニ・ガウディ設計。当初は住宅として構想されたが、現在はカタルーニャ銀行の所有物で、ギャラリースペースもある。最上階はガウディの設計思想を伝えるギャラリーになっている。屋上にも上がれる。

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