03. Dezember 07

女囚さんシャイセと叫べ4分間

《4分間のピアニスト》(原題:Vier Minuten)見てきました。

非常に困難な状況にある芸術家どうしがなんとかして心を通わせようとする、その困難さを描いて秀逸でした。
もと「ピアノの天才少女」ながら、ステージ養父のもとを飛び出してぐれてしまい、恋人の犯罪をかばって収監中の主人公。ひたすらに心を閉ざして、自分をいじめたやつは半殺し(それが、陰湿ないじめを繰り返すトルコ系らしき牢名主や、小市民な看守であっても、ご機嫌を伺うなんてことはいっさいしない)、でもたたきこまれたピアノだけは忘れない。
ナチス・ドイツ時代にレズビアンの共産主義者であることを隠して国防軍病院に看護婦として勤務していた往年の名ピアニスト(フルトヴェングラーに認められたという設定)。米軍の空爆で国防軍病院が破壊された際に、仲間に売られて収監中の恋人を見殺しにしたことを生涯の十字架として独身を貫き、80歳を越えるいまも女子刑務所にピアノを教えに通う。
この二人の出会いと「声の回復」の困難な道程の物語。
主人公がシャイセー!!と叫びまくります。「ちっくしょー!!!」ですね。でも、必然性があります。

抑制されたトーンの演出、不自然なところのない脚本と演技もさることながら、音楽の使い方が絶妙。青春の孤独のシューベルト(D935-2)、悲惨の中になる魂の純潔のモーツァルト、闘う女の希望の翼のワルトシュタインソナタ、もと「天才少女」が来し方を破壊して内なる声で唄ってしまう、シューマンのコンチェルトの1台用編曲版のゲンダイオンガク風パフォーマンス的アレンジ(これが秀逸。コンクールの本選に脱獄して出場しても、警察官と刑務官の見張りがぴったりついているという状況で、どうせまたつかまってしまうのだから、と内部奏法や打楽器奏法をめちゃめちゃ展開しまくるという設定。お客さん大喜び。コンクールの本選ではちゃめちゃやったるで、と夢想する若い演奏家もいるんだろうなあ、と思いました)。
演出が扇情的でないからこそ音楽が効いてきます。もと天才少女役、往年の名演奏家役の当てレコ担当の演奏家がそれぞれ異なっていて、しかも相応に納得できるレベルの演奏。やはり、こうでなくては。日本のシーリアスミュージック映画の作り手はこれを見て猛省すべきです。どんなに面白い筋書きのドラマでも、音楽に説得性がないとだめです。DVD化を期待します。

いろいろ仕掛けについて書きたいことはありますが、《マダム・スザーツカ》と《秋のソナタ》をもう一度見てから書きたいと思います。

プログラム冊子はもっとおもしろくできるはず。
若者の人気者をフィーチャーしてますが、彼らの書き物のなんと生ぬるいこと。
主人公にぼこぼこにされちゃうぞ。やっちゃえ。

実はこの映画の隠しテーマは「Beruf」(使命、召命)です。
かみさまに与えられた能力を発揮して世にお返ししなければならない使命がある
という、プロテスタントの倫理観おなじみのテーマです。
それをコミュニストの老先生が主人公に語る場面が実は圧巻。
ああ、ドイツだなあ、エヴァンゲリッシュだなあ、とつくづく思いますが
せめて、そのあたりにふれてくれなければ、ね。

業務連絡:
物理学者鍵盤弾き歌人S君、これをご覧のようでしたら一度ご連絡ください。
メールアドレスは前とかわっていません。(ソネットのアドレスは死にました)

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31. März 06

ナルニア見ました

みなさまこんにちは。

研究室の仲間たちと《ナルニア国物語》を字幕版で見てきました。最初、ディズニーだからとあまり期待していなかったのですが、意外によかったです。あんなに原作への敬意と抑制の利いたディズニーははじめて見ました。映像がまず美しい。アスラーンの国の谷間の軍営の色彩なんて、まるで、中世の彩色写本のそれのよう。あれはみごとでした。四人兄妹も、いかにもイギリスの中産階級のふつうの子供たちらしい典型的な容姿の子供たちを揃えていて、まず、そこから唸らされました(彼ら、どこにでもいそうな子供たち。けっしてかわいくはないし、かっこよいというわけでもない。でも、次男を演じたケインズの曾孫は、いずれしっとりとしたイギリス的美青年になるのではないだろうか)。しかも戦時中なのに身なりがいいんだなあ、日本の戦争映画とは違うなあ。
異界の者たちにはじめて出会った子供たちが彼らなりに紳士淑女然とした態度で応対するあたりも、かなり、「イギリスらしさ」をかもしだしていて笑えました。末っ子ルーシーの、「握手はこうするのよ、ミスター・タムナス」とか。吹き替えではどんなだろう。
特撮も自然で、ライオンのアスラーンの威厳と慈愛に満ちた演技(?)からしてまったく違和感なし。
ティルダ・スウィントンの「白い女王」、完璧です。キル・ビルのルーシー・リューみたいな二刀流の殺陣をしているあたりも、ツボを抑えていて良いかもしれません。ジェイムズ・マッカヴォィの演じるフォーン(牧羊神)のミスター・タムナス、メランコリックでひとなつこさそうな目が魅力的です。「オレはわるいフォーンなんだー」(泣)

C.S.ルイスの原作では、かなりあからさまにキリスト教的な価値観を勧める言及もあるのですが、映画になると、それがだいぶ薄まります。それでも、なんとなくアスラーンの言動にイエスさまっぽいところがあったり、善玉と悪玉の図像的表現にいかにもそれらしい表現があったり、おもわずニヤリ。
中世ヨーロッパふうの意匠の世界なのになぜかみんな現代のイギリス人のようにお茶を呑んでいたり、クリスマスが一見なさそうな世界なのにクリスマスがあったり(中世ヨーロッパがモデルなら、クリスマスがもちろんあるわけですが)、よく考えてみると不思議なところもないではないのですが、そのへんはご愛敬かもしれません。
悪魔主義を助長する、として英語圏の教会文化のなかで非難囂々という評判もきく、かの《ハリー・ポッター》に打ち勝てる良識ある作品を作ろう、という試み(が制作の背景にもしあるとすれば)は、それは十分達成されているようには感じられましたが、どうなのでしょう。続編が待たれます。

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18. Februar 05

東京タワー。

引き続き任務遂行中ですが、よせば良いのに見てしまったよ、映画の《東京タワー》。

この映画、ふわふわした文体ゆえに倫理性の欠如をかえってよいことのようにさえ感じさせる原作を結構大胆にアレンジしていて、江國香織の作品の本質にはアモラルな部分があるということをはっきりさせてくれる。からっぽの人妻とからっぽの若者が互いを求め合うからっぽな婚外恋愛の顛末を描くどうしようもないお話なのだが、映像が美しく、テレビドラマ的な小技のきいた演出が効果的で、思ったよりも観られる映画ではあった。シネフィル街道を歩みつつある妹と見にいったところ、女性割引日の映画館には男子がほとんどいない。たしかに1000円で充分だろう。1800円出して見る気はしない。登場人物がみんな東京タワーが間近に見えるペントハウスやセタガヤあたりのいいお屋敷に住んでいるというところにはじまり、紋切り型の「ネタ」や笑いどころつっこみどころ満載のストーリー。妹はひとこと「バブリーだなー!!」。舞台を下町やニュータウンや片田舎にして、美男美女ではない役者さんを遣ったらもう手に負えないほどにすさんだ話になるかもしれない。

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07. Januar 05

The Terminal/Sylvia

映画の話題。

《ターミナル》 The Terminal  ★★★★★1/2
《シルヴィア》 Sylvia ★★★1/2

(10.01.05一部加筆)

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02. Januar 05

冬ソナ字幕版・その4(完結編)

新年早々、年末冬ソナ大会の話もなんではあるけれど、「その3」では話が完結していなかったので「完結編」をば。

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28. Dezember 04

冬ソナ字幕版・その3(韓流キェシロフスキ)

まだ飽きずに「冬のソナタ」を見ている。狙ったようにすれちがい、はちあわせる人々。まのわるいできごとがつぎつぎに起こり、悲劇のはずなのに思わず笑えてしまう。歌舞伎を見るように合いの手をいれ、笑い転げる。筋書きはとても単純なのにディテールが凝っている。やはりここは監督の力だろう。ということで、共同通信社のムック『ユン・ソクホのすべて』を買ってしまった。スチールも文章も充実、瀟洒な一冊。ほかのドラマも見たくなった。

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23. Dezember 04

字幕版冬ソナ・その2

字幕版冬ソナの第2夜と第3夜を見る。韓国風俗のお勉強にもなる。主人公たちはみなハイソサエティのひとたちで、画面からも手触りが伝わるようないい服を着て、よさそうなところに住んで、横文字名前の業界に勤めて、高そうな食べ物屋に行く。カフェでは赤ワインとフルーツを最初に頼むようだ。こないだ韓国に音楽の取材に行ったダンナが「あ、あそこ行ったことあるかも!美術館のカフェかも!」とポツリ。オサレじゃないか。もっとも、工事現場のシーンでは伝統食も出てきたから、TPOにあわせて食事の内容もかわるらしい。

冬ソナ大人篇は、高校篇の清純派小悪魔からは想像もつかない薬草のような女になったマリッジ・ブルーのヒロインが静かで強力な負の引力をもって周囲をふりまわす話にもみえてきた。チュンサンにうり二つな(ということにいまはなっている)亜米利加帰りの建築家ミニョンは仕事以上に女性を誘惑することに熱心のようで、仕事相手をも口説かずにはいられないらしい。劇中では「あの人、感情表現が豊かだから」と評されるのだけれど、どうみてもヤツはおんなたらしにみえる。徹底的にコケにされているサンヒョクが哀れでもある。
それにしても、善意の登場人物が次々に間の悪い偶然をくりひろげるようすがまるでシチュエーション・コメディみたいだ。計算された間合いに「くるぞくるぞきたあああ」と笑い転げる。登場人物の描写がそれほど深くないのも笑いを盛り上げる。続きを見るぞう。

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21. Dezember 04

字幕版冬ソナ。

字幕版の冬ソナが昨日から始まった。吹き替え版は最後の数回だけしかみていなかったけれど、落ちを知っているせいか(「男らしく」勇敢にふられるサンヒョクがあわれだった)、はなしの筋がぴちぴちとつながって観られる。それにしても、字幕版のほうがだんぜん良い。なにしろ、チェ・ジウもペ・ヨンジュンも低い声で喋る。吹き替え版のどこか非日常的なソプラノとテノールのかけあいよりも、ずっと雰囲気がある。テレビをみながら「おいおいっ!」と合いの手をいれたくなるようなつっこみどころ満載の、昔なつかしい少女漫画や大映映画のようなストーリーなのだけれど、だからこそかえって気になって最後まで観てしまう。

チェ・ジウの韓国語の発音はたしかに舌足らずにきこえる。監督のスーパーロマンチストぶり満々の演出のせいもあるのだろうけれど、清純派のはずの女子高校生ユジンのコケットぶりがいっそうきわだつ。ユジンの妹は幼女なのにもっとコケットだ。「おにいちゃんハンサム。わたし、おにいちゃんとケッコンする」と、熟女そこのけのなめまわすようなねっとりとした視線をチュンサンこと「ペさま」に投げる子役がみごと。無理矢理に高校生を演ずる「ぺさま」扮するチュンサンもかなり女たらしふうだ。しかもサンヒョクの上を行く直情径行である。実はあの話、稀代のコケットと稀代の女たらしが出会って、純愛風にみえる宿命の恋に落ちてしまう話なのではないかとも感じられてくる。ユジンとチュンサンはそれぞれに見かけは清純そうだし、誠実であろうと努めているようにみえるのだが。

チュンサン、実は頭いい。高校生なのに大学教養レベルの微分方程式を解いている。
彼のママがアメリカで成功してニューヨークに住んでいるピアニストという設定も興味深い。たぶんジュリアード出という設定だろう。

筋書きはとてもわかりやすい。ロケ地はどこもとてもフォトジェニックだ。
ううむ。アホだのう、と思うのだが、あとをひくのがなんとはなしにはわかる気がする。

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11. November 04

風景と音楽と:「中国の絶景--長白山神秘の火山」をみました。

昨日の晩、仕事から帰って晩ご飯をたべてくつろいでいると、中国東北部は長白山のふもとにある養鹿農家のある村の一年を描いたルポルタージュがBS2で放映されていたので、思わずみてしまった。鴨緑江上流域の山岳地帯、カルデラ湖「天池」をいただく山麓の村は林業と農業が基幹産業で、冬になれば雪に閉ざされる。初夏でも山頂の気温は零下になる。厳しくも冷涼な自然美を映してなかなかの映像である。初夏の山頂の湖の霧が龍にも見えたりして、広く一帯から見物客が訪れたりもする。

なぜかBGMは後期ロマン派交響曲で固められていた。これがもう、そこはかとなく可笑しいのである。村を被う吹雪にかぶるチャイコフスキー。雪の中で杉の木を伐採するひとびとの背中に流れるブルックナー《交響曲第7番》第2楽章。「なんでワーグナーの葬送音楽なんだ、、、、」となりで見ていたダンナと抱腹絶倒する。村人の案内で雪山を登る撮影クルーにマーラー(たぶん《巨人》だと思う)。雪山と後期ロマン派交響曲、といえば、《八甲田山死の彷徨》とブルックナー《交響曲第9番》第2楽章、というかなり暴力的にも印象的なとりあわせもあったと思い出す。春になって雪が解ければ、マーラー《夜の歌》(だったろうか。最近、巨大編成交響楽の類を余り聴かないのでidentifyできていない)、そしてラストの瑠璃色の「天池」を望む風景には「この湖は女神が注いだ水だという伝承があります…」という渋いハイ・バリトンのナレーションに、ブルックナー《交響曲第7番》第1楽章の最初と最後を麗々しく切り貼り。過剰なまでに情報量の多い音楽が、寡黙にその土地をものがたる風景にかぶせられる。場違いでもあって、しかもにぎやかにすぎる。なにも泰西名曲でなくっても、その土地の真実を描き出すのにふさわしい音楽、というものがあるだろうに、中国ならもっと面白い民族音楽があるだろうに、と思いながら、可笑しくて可笑しくてたまらなかった。

もっとも、日本とは、能登の不機嫌な藍色の冬の海にウィンナワルツを流したりするところである。レコード屋のクラシック音楽フロアではある種の顧客のナルシスティックな選民意識をあおるように大音量で後期ロマン派交響曲が流れていることは珍しくもなんともない。これしきのことで驚いてはいけない。

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