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29. April 08

笙野頼子・おんたこ三部作|最近のオレが弾く

笙野頼子の完結したおんたこ三部作、読みました。
『だいにっほん、おんたこめいわく記』
『だいにっほん、ろんちくおげれつ記』
『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』
いずれも講談社です。
(講談社、思わず首をかしげてしまうような変な本もたくさん作ってますが
こういう本も作れるからさすがです)

げんだいしそーでよろい、せいよーのえらいさんのことばを
都合良く誤用して自己を正当化し
うれるものがアートだといいくるめてロリコン二次元メディアを主要輸出産業にし
責任のない少女になりたい願望でいっぱいの
名誉少女たち(しかも大半はオヤジのコスプレ)が支配する
「だいにっほん」のーてんきでスーパーフラットなロリコン文化を根底から覆そうとする、
成熟を嫌う文化の中で沈黙を強いられてしかるべき場所を奪われた
成熟した女の力強い祈る身体(声)、踊る身体(声)、語る身体(声)を
取り戻そうとする語る女の物語。

著者自身が「こんなひどい場面は書きたくない」とためらうこともあったという
グロテスクなロリコン遊郭の場面も
「おんたこ」言説のプロトタイプを解読不能な現代詩に託して一世を風靡した
ロリコンネオリベラリストで2次元ヲタクの論客がこわれてゆく場面も凄絶。
憤死した少女たちの魂が天に帰る祭りを描く幕切れも圧倒的。
「おんたこ」言説(ろりりべオヤジ)に抵抗する「みたこ」教団の巫女たちの
バッコスの信女たちめく祭り、
「仏教とキリスト教を融合するのだ」と説く「みたこ」の大巫女の語り。

怒りを歌え巫女よ!

これが体当たりでできるのはもう彼女しかいない。

こんな怒りの物語なら大歓迎です。
もう、おぶんがくの世界のロリコン的傾向や
おんなのこのおまたとあたまのゆるさを装った文章や
傷つきやすい少女的感受性とやらのするどさを
型にはまったかたちで売りに出すものをよしとするらしき風潮や
そんなこんなにうんざりしていたので
実にすかっとしました。
ともかく、『アマノン国往還記』アヴァンポップバージョンともいうべき
『水晶内制度』からずずずいっと先に進んでます。
(『水晶内制度』のウラミズモが実は老獪で陰湿な外交政策を展開して
だいにっほんをどんどん浸食している…というところが笑えました)

文体のリズムが魅力的だから3冊ずいっと読めます。
女シャーマンのトーキング・ドラムのような怒り藝、罵倒藝。
とことんグロテスクな世界のはずなのですが、
ユーモアと炎のような純真さも盛られているので
いやだとは感じませんでした。
むしろ溜飲が下がるような場面も…。

「火星人」として排斥されてきたみたこ教信徒・抵抗者の家族である
第3部の主人公(18歳女性)が 父=師匠から教えられた
「火星人落語」の再興を目指して演説する場面、
おもわず胸が熱くなりました。

…火星人には歴史がないといわれている、
だけれど、みんなが体験したことを語ってゆかなければ
歴史も物語もできない
支配的抑圧的な価値観にめいわくをかけられたならめいわく記を
おげれつに悩んだならばおげれつ記を
あんなもんしんじまえと思ったらしんでけ録を書けばいい
語らないとはじまらない

という内容を祭りの輪のなかで
「俺」口調で語ります。

あの怒りは私もたしかに共有しているもの、
なにかと励まされる作品でした。

しかも作者と同名の作家の語りがときどきこんぴらさまになっている…。

宗教史家兼詩人としては、この作品についてもっと語るべきこと、語れることがいろいろあると思います。
批評を書けるようにしておきたいです。


えうほいえうほい

ヒューイットの平均律、二日目も見てきました。
後半が特にすばらしかった。自由自在でふところが深い。
さすがでした。
彼女の演奏会はまた聴きに行くでしょう。

ハフの新譜(モーツァルト)、かんぺきです。
モツっつあんご本人の作品はもちろん、
シャイな英国男子らしさが全開のハフ先生ご本人の作品も、
リスト《フィガロ・ファンタジー》もサイコーです。

自分では最近歌を歌ったりピアノを弾いたりは細々続けています。
ピアノの置いてある部屋が冬は寒いのでなかなか手を出せずにいた
バラ3、舟歌、意外に弾けるではないですか。ニヤリ
しかし私が弾くと両方とも落語になるのはどうしてでしょう。

アブルケル《ジュテーム》の楽譜が届いたので歌ってみました。
High Cがきちっと当たれば意外にムリがない?
フランス語が第一言語の人が書いた曲ならではの
チャーミングでからっと乾いたふられ女の怒りと悲しみの表現。

日本のふられ女の歌だったら着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んだり
もしもあたしがしんだらあなたないてくれますかで雪国に傷心旅行ですよ。
ったくそういうじめじめしたのやなんだよ、
いつまでもじめじめしてたらいきてけないでしょうが、すっとこどっこい。

なので、《ジュテーム》は非常に気に入りました。
時間をみつけて練習します…。

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19. April 08

アンジェラ・ヒューイットの平均律(1)


アンジェラ・ヒューイットの平均律全曲演奏会第1夜行ってきました。

教会音楽家の子女らしい、折り目正しくも知的で自由自在で包容力のある演奏。

第1巻の2時間があっという間でした。
半音ごとに音階を昇ってゆく、その音色の温度の変化。

世界中で彼女のCDが売れるのも納得です。

はじめ、あんまり美音の人ではないかなあ、とも思いましたが、どんどん入魂の演奏に。ファツィオリを使いこなしてはじめて出せる、あんなに語るような歌うようなピアノの音色。すばらしかったです。


日本人の教会音楽家の皆さん必聴だと思いました。
ほんとうはバッハはもっと自由な音楽なのではないか。

衣装はカナダ人デザイナーの作品で、ホルターネックに見えるけれどホルターネックでないフローライトやアクアマリンのような水色の総スパンコールのマーメイドラインのドレス。ウィスラー鉱泉水の瓶の色でもあります。カナダ人この色好きなのでしょうか。彼女の目の色に合わせてあるのでしょう。総スパンコールのドレスは最近のモードなのかもしれません。

プティボンのリサイタルと同じく、音楽を勉強中の学生さん風のひと大勢みかけました(高校や大学の先生がお弟子さん引き連れて来場する姿も)。

しかし、ピアノと声楽では、同じ会場でのリサイタルとは思えないほど会場の雰囲気が変わります。

あれはほんとうに不思議。

ピアノのリサイタルを聴きに行く服装で声楽を聴きに行くとすごく地味なんだった。自分。

日曜日に第2日行ってきます。楽しみ楽しみ。

ところで某所でまたも
「やーいにせものくりすちゃん」
「キリスト教なんか信じるのやめなよ?」
って言われました。

そりゃああたしゃある場所ではなまぐさかもしれませんが
ある場所ではとりすました優等生にみえるかもしれませんが

どんな立派な業績残している人でも

そういう無神経なことは言わないでほしい。

ないのうみそ絞って祈り倒しての人生の選択なんですから。

しかもどうして詩のひとってそういうことを平気で言えるのかと…。

学問の場ではそういうこと言われたことあんまりないですね。

ほんっと、よけいなお世話です。ぷんぷん

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14. April 08

うた魂♪とプティボン

《うた魂♪》とプティボン見てきました。
どちらも歌う喜びについてひしひし感じさせるものでした。
まずは《うた魂♪》の感想から。
予想以上に面白い映画でした。中学・高校・大学で集団技音楽系サークルに関わったことのある人なら、思い当たる場面がたくさんあって笑い泣きできます。
脚本は函館イリュミナシオン映画祭シナリオ大賞受賞作。
軽妙なセンスのある脚本だと思います。
自分の世界にこもりがちな少女がいっしょうけんめい仲間となにかをする喜びを見つけるまでを描くさわやかな作品。
人物描写はあっさりした劇画タッチなので、こむつかしい理屈をこねるのが好きなシネフィルの人はねこまたぎすると思います。仲間といっしょけんめいなにかを作ることに懐疑的な人は、劇中で主人公に発せられる「合唱だなんてだっさーい」とか「唄ってる顔が産卵してるしゃけみたーい」の、合唱の外側にいる人の何の気なしのことばの気分をエンドロールが全部あがってもぬぐえないのではないだろうか、という気もします。

ところで、この「なにくそまじめになってんの?ばかみたーい、唄ってる顔がしゃけみたーい」て感想、人前で感情をあらわにすることをよしとしない日本人らしいですよね。それに、文化的背景を考えれば、合唱は日本では宗教音楽のなかで一目置かれるどころか、学校のなかで良くも悪しくも生徒を束ねる装置に使われていたりもしたわけだし、西洋わたりのシーリアス・ミュージックが生活の中に根付いているわけでもないし、そんな中で日本人がいっしょけんめい合唱する必然性への素朴な疑問を直感的に表現しているともいえて、考えさせられます。

でも、東アジアならではのすがすがしい青春映画があったっていいじゃないか。
勝因は地方の公立進学校の「女子合唱部」を舞台にしたことでしょう。
あの年頃の女の子特有の一途さ、はにかみと潔癖さ、仲間意識の強さがきりっと結晶しています。
混声合唱団を舞台にしてたら、まったく違う映画になったでしょう。どろどろを避けるのは神業。
彼女たちとまったく対照的な不良少年のグリークラブも、男声合唱特有のばんからアウトロー志向の一種の極北でしょう。ガレッジセールのゴリ扮する昔懐かしいヤンキースタイルの番長、明らかに老け顔ですがそこはたたずまいと迫力でカバー、いかにもいそうでした。
主人公と実は両思いのはずなのに、感情表現が不器用ですれちがってしまうハンサムな生徒会長とか(そりゃ、好きな人に「君の歌ってる顔、しゃけみたい」て言われたらがっくりくるでしょう…)、主人公を敵視するモテ子が実は音痴ゆえに子供の頃に主人公に傷つけられてしまった(しかも主人公にその自覚がない)とか、脇役のエピソードもほどよくほろにがい。

合唱の映画ですが、合唱が生活の中に根付いているとは決して言えない日本の風土を反映してか(?)選曲はポップス寄りです。
コンクール直前に自由曲を変更(?)するとか、コンクールの審査員席に先生然とした人が少ないとか、その筋のことを多少知っているとありえない設定もいろいろあるのですが、朴訥で一途な合唱団員の少女たちの練習風景(学生の自主性を尊重する学校に惹かれた、との監督インタビューをよみました)とか学校生活の描写、合唱コンクール都道府県レベル大会での合唱人の生態はリアリティたっぷりです。
実在する高校の合唱団がコンクールの場面に出演しているのも良い感じ。全員合唱で盛り上がる曲だとみんなで自然に歌うんだよなあ。
合唱団員役の役者さんたち、3ヶ月の特訓の成果で吹き替え無しで歌っているそうです。
実際の全国大会常連校と比べるのは酷かもしれないですが、それでもある程度の水準には達しているからスゴイ。主人公を演じた夏帆ちゃんの(息漏れたっぷりだけど)透明で柔らかい声が冒頭のブリテン編曲版《Early One Morning》に良く合ってました。オケ伴アレンジなのが主人公の自意識過剰ぶりを描くエピソードにぴったり。
選曲も説得力がありました。
30代後半から40代前半の人にとっては反抗のアイコンだった尾崎豊をイマドキの学生さんも同じように反抗のアイコンと見ているのだろうか、とは思いましたが、歌詞に登場人物の思いを託す造りなので説得力があります。日本のシーリアス・ミュージック系合唱の代表として高田三郎が出てくるところが、合唱経験者としてはかなり笑えたり笑えなかったりするポイントかもしれません。《水のいのち》の「海」と「川」をそれぞれおばちゃんコーラスと主人公の学校の女子合唱部が歌います。どこかしんきくさいところもある、とってもシーリアスな日本のまじめな合唱曲のイメージ。高野喜久雄の詩からは西洋の精神性にあこがれる昭和の日本人の心も感じられます(高野喜久雄は実はvouのモダニストなのに、高田三郎とタッグを組んだ声楽曲の詩になると西洋近代のある種の宗教詩のにおいのする詩を作るのです。そのあたりやはり独特の存在感のある詩人だと思います。)スタンダードナンバー中のスタンダードですね。ここでオザキばかり歌ってる不良少年軍団が「おまえらは大河を讃える歌を歌えてかっこいいぜ!」て感想をもつシークエンスにつながるところで、ワタクシなぞはおもわず複雑な笑みを浮かべてしまいます。むむ、高田三郎と仲間たちの働きによる《典礼聖歌》支持派のカトリック関係者のかたがご覧になると「おお、この子たちはタカダせんせいのすばらしさをよくわかっている」とお思いになることもあるかもしれません…(ちなみになにかとうたいにくい曲が多いのに面と向かって批判しにくい雰囲気をかもしだしている《典礼聖歌》ですが、高田三郎の作品はそのなかではやはりひと味違ってまだしも歌いやすいです。やはり名匠です。)
その後に「いいかー、おめーらみたいなPTAご推薦の合唱はたしかにうまいかもしれないけどなー、俺たちの合唱のほうがよっぽどオーディエンスのハートに響くんだぜー!」と不良軍団がおらびます。彼らが腹の底から歌うプロテスト・ソングとしてのオザキの印象が強烈なので、ああそうか、と一瞬納得させられます。でもさ、オザキって青学のぼっちゃんだったんだよな…(しかも青学って一見キリスト教色薄いように見えるけどしっかりミッション校なんだよな…メソヂストの精神性はすこしもヤワじゃない。むしろたくましいです)。しかもオザキって反抗のアイコンとして商業的に成功したんだよな…。爆笑ポイントだけれど、後から考えてみるとかなりほろにがーい笑いも味わえます。

もっとも、ここはすっかりやる気をなくした主人公が「部活やめよっかなー」と思いながら舞台に立つ場面なので、三善晃/谷川俊太郎コンビの《私が歌う理由》を使っていたら随分印象が変わったと思います。日本語でおしゃれなプーランク風の音楽が歌えて歌詞がたにしゅんで明快で一粒で数倍美味しい良い曲だけど、なにせ難曲だからなあ。♪なぜ さかのぼれないか♪だと「しゃけ顔」からの連想が絶妙で、思わず爆笑させる場面にはなるのですが…。


産休代用教員の音楽の先生(主人公の学校の合唱部の顧問)を演じた薬師丸ひろ子の控えめな演技も印象的でした。いしいひさいち描く「藤原先生」を思わせます。ストリート・パフォーマーの経験もある、パフォーマーかたぎの音楽教師が生徒とつかず離れずかかわってゆく、という設定。歌声も健在。もうすこし描写に奥行きが出れば…と思わなくもなかったけれど、観客に考えさせる造りだからこれでいいのかもしれません。

十五の心に戻ってみるも良し、教師の視点から見ても面白い。
疲れた毎日のなかで初心を思い出したい音楽好きのアナタにおすすめです。

パトリシア・プティボンの感想は数日中にアップします。
いやー、あんなに面白い人だとは思いませんでした。
だんぜんライヴのほうが楽しいです。
軽めだけれどどの声域でも豊かな響きのある声、
清潔でお茶目で知性がきらりと光る歌いぶり。
鳴り物あり、コントあり、日本語MCあり(カンペが色とりどりですてき)。
もう、大好き!
ピアノのマチェイ・ピクルスキも好演。
暖かくて包容力のある、歌い手思いの演奏でした。

彼女も歌ってるとあのキュートなお顔が産卵してるしゃけどころか、
そりゃもうものすごいことになっているわけですが
そこまでしてこそあの声が出るし、あの魅力が映える。
やはりそれでこそ歌姫だよなあ。
《うた魂♪》の主人公のように「もしかして、歌ってるアタシ、変?」と
懐疑の気持ちを抱いている女子高校生には
プティボンの出てるDVDを見せるのが良いと思います。
French Touchでもオペラでも…。

家族みんなで楽しめるステージです。
オペラシティ満員だったし、次回につながるといいなあ!

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