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24. Februar 07

ハットのインタビューonラジオ・ニュージーランド|ハフ先生最新インタビュー

ところで、ヤン・ファーブルの踊りは体質改善に良いようです(謎)。冷えに効くみたいです。
新陳代謝が活性化されています。
5月にはアラン・プラテル舞踊団を見に行こう。

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンのチケットとりました。最初の30分はインターネットも混み合っていて結局ブラレイのガーシュウィンはとれませんでした(悲)
5月4日は歌三昧です。
フラメンコ歌手の歌う《恋は魔術師》、コルボのフォーレプログラム、ドヴォルザークのスタバト見ます。
ストラヴィンスキーの《結婚》が生で見られるなんて、ピアノ好き歌好きとしても今からわくわくです。
それにしても、LFJ、毎回歌ものが充実してるのが良いですね。

ハット事件、BBCでのインタビュー番組ラジオ・ニュージーランドの音源が出ています。
ハットとバックスのシンフォニック・ヴァリエーションの録音で共演したヴァーノン・ハンドリーのインタビューのほか、生前の本人のインタビュー音源あり。

http://www.veledan.com/hatto/Joyce_Hatto_interview.mp3

ここのハット女史のお話ぶりには、天真爛漫な人柄が感じられます。
ハンドリーも「ハットさんはいい人でした」と…。(泣)
ほんとうの悪人が天真爛漫なふりをするとどこかに無理が来るのだけれど、その無理はみじんも感じられません。
このインタビュー音源に、疑惑の音源の検証がつづきます。
うますぎたり、一人の人間が弾いているとしても、同じ作曲家でも解釈が多様すぎたり、最初に出てきたバックスのダイナミックで大づかみな演奏と同一人物とはとても思えません…(無口)
それから、録音の音色の質感がそれぞれ違いすぎるのです。デジタルすぎたり、まるで銭湯のなかで演奏しているようだったり。
面白すぎます。
エゲレシの音楽評論家・小説家ジェシカ・ダッチェン女史のブログ読みましたが、晩年のハットは卵巣癌と闘っていたとか(続報たいへんに詳しいです)。
ああ、これは大変だ…。
ちなみに、ハット女史のご夫君(ウィリアム・バリントン=クープ氏)は、「サーガ」レーベルで往年のポップス業界でも活躍した人とのこと。
真相をどんどん調べてゆくと、ますますミステリ小説や映画の題材になりそうだと思わずにはいられません。

グーグルのネット・ディスカッショングループでは「映画化すべし!」の声があがっていますが、私も同感です。
個人的にはやっぱウッディ・アレンだな…ケネス・ブラナーだと上品すぎるかもしれないな。

夫は「第二のサンセット大通りですう」と言っています。

ちなみにハットのショパン=ゴドフスキーのCDの1/3はハイペリオンのアムランの録音らしいですぜ…

これから「偉大なるピアニスト・○○先生の霊言」みたいなフェイク録音流行ったりして…

(つづく)


スティーヴン・ハフ先生の「お祈りの本」いただきました。これですね。
Bible as Prayer
最初にかんたんにお祈りの仕方がかゆいところに手の届く説明で説明してあります。「お祈りは難しくない!」これが重要です。「基本に帰ろう!」で、東方の霊性(←ウチの業界でも人気)とベネディクト会の霊性に帰ろうてな案配です。イエズス会のアントニー・デ・メロ神父の本や、英国国教会のローワン・ウィリアムズカンタベリ大主教(すぐれた教父学者でもある)の本などもかなーり勉強して書いた形跡ありです。
あとは、聖書の各巻ごとにinspiringな章句を集めてあり、なかなか使いやすいです。
日本のクリ業界では手取り足取りの霊的読書本がもてはやされるようですが、こういう、サッパリしたのもいいんじゃないでしょうか。

なお、デイリー・テレグラフ紙のハフ先生最新インタビューはこちら。
かなりおちゃめさんです。
インタビュアーにせがまれて、少年時代に見たテレビドラマの主題曲をバルトーク風に弾いたりしています。
(うー、おおいにその様子、想像できますが、昔はポップカルチャーにも関心があったよ、スノッブじゃないよ、と庶民派を強調するインタビューとも読めますね。マイケル・ナイマンのサッカー好き宣言をちらりと思い出しました)
With apologies to Bartok
http://www.telegraph.co.uk/arts/main.jhtml?xml=/arts/2007/01/21/svhough21.xml
カトリックになりたての若い頃はバリバリ伝統主義者で、新聞にいろいろ「ミサでの女性侍者の使用をやめましょう」「フォークミサ大反対!」と、投書したりしていたとか…。
いまはもっとリベラルになったそうなのですが、彼にもそんな時代があったのか!!
フォークミサには今でも反対だそうです。そうだよねそうだよね。
「イギリスの音楽界は舶来ものをありがたがる傾向があるので、もし、ハフがStephen HoughではなくてStefan Horowskiと名乗っていたら、もっと有名人になっていただろう」とのくだりに、思わず爆笑。
あのコメディドラマシリーズFrasierでDr. Nilesを演じているDavid Hyde Pierceもハフファンなんだそうです。
Frasier, 英国系の飛行機に乗るたび機内放送でしげしげ見てしまいそうかも…。
(つづく)

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19. Februar 07

エマ・カークビー

エマ・カークビーを聴きに行った。

オクスフォード大学古典学部出身の世界的古楽ソプラノ歌手。
のびやかな唄いぶりと、その経歴もあいまって、長年の憧れの人である。ついに聴くことができた。
武蔵野市民文化会館のお値打ちチケットはほんとうにありがたい。

なまえまさんはやはり年齢不詳だった。ラヴリーでおくゆかしい立ち居振る舞いがいかにもオクスフォードの古典学部出身の女性共通のなにかを感じさせて、思わずニヤリ。あの陰鬱な図書館のあたりでお見かけしてもまったく違和感がなさそうだ。フューシャ・ピンクのタフタのジャケットと、ペパーミントグリーン地の花柄のツーピースドレスの衣装も、イギリスのおばちゃんならではの選択で、ますますニヤリ。ふわふわの金髪は染めているみたいだった。
なんというか、カークビー家の客間に招かれておいしいものをいろいろごちそうになったあとに、女あるじの歌をリュートのおじさんの伴奏でたくさんたくさん聴かせてもらったような気持ちのする演奏会だった。ダウランドとパーセルのリュートソング特有の純粋な情念、とりわけ純粋なかなしみの世界が、あののびやかな声で自由自在に歌われると、もう、それだけでひきこまれてしまう。日本の古楽合唱界のある領域ではなにかと自我と声の芯を殺した歌い方が推奨されて、どうにもなじめないものを感じることがあっただけに、古楽でも芯の通った、自我のしっかりと立った歌い方で歌っていいのだ、と安堵する。メランコリックなあこがれでいっぱいの光り輝く古典趣味に彩られた16世紀17世紀の息吹を呼吸するようにごく自然に表現する歌いぶりも、やはり安心して聴いていられる。ああ、あの時代に書かれた歌も、あたたかい血の流れる人間の音楽なのだと感じさせるには、やはり素養は大切だ。
彼女の歌は録音よりライヴのほうがずっとずっと良い。
録音では冷たく鋭利に聞こえてしまって、声のあたたかみやひろがりが消えてしまう。

ヤーコプ・リンドベルイのリュートも洒脱で品のある演奏で、好感がもてた。彼は眼鏡をかけると「アムランのお兄さん」風、眼鏡をはずすと「ハフのお兄さん」といった風情で、芸風は二人のちょうど中間だ。
あのリュートは現存する最古のリュートのひとつだそうで、日頃のお手入れの苦労がしのばれる。

ところで、会場で会った友人が、波多野睦美さんの歌い方がますますカークビーにそっくりになっている、と指摘していたけれど、確かに波多野さん、カークビーの歌い方も服装も髪型もかなり意識しておられるのだろうなあ、と感じた。尊敬する師の演奏の型に似ようとする演奏は、日本的な芸道観のなせるわざだろうな…
古典学の素養も手中にしたら無敵なのに…。
残念ながら日本はそういうお土地柄ではないっぽいな。

ところで、今宵のダウランドの演奏はなんとはなしにケイト・ブッシュの唄と唄いぶりを思い起こさせるものがあった。リュート独奏曲もなんとなくモサラベっぽい響きがして面白いのね。
「僕を暗闇にいさせてくれ」の慟哭と、最後のフェイドアウトするストップモーションなんて、ケイト・ブッシュとか、ヴァシュティ・バニヤンのアルバムに入っていても違和感のない曲かもしれないな。意外にモダンでポップ。スティングもパーセルをいれたことだし、ぜひ(妄想)

ダウランドもパーセルもまた唄ってみたくなった私なのだった。ピアノ伴奏はかなり無理があるなあ。

しかし、ヤン・ファーブルのカンパニーにも哲学科出身の人が結構いるようだったけれど、古典学科や哲学科から芸術家を輩出する文化的背景、非常に非常にうらやましいかもね。

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ジョイス・ハット続報

前に記事を書こうと思っていたイギリスの驚異のピアノばあちゃん・ジョイス・ハット女史の件ですが…
なんと、彼女の晩年の録音はフェイクなものがいろいろあるらしいです。
あー、記事書かなくてよかったー。

ハットのCDをPCに入れてみたら別の演奏家の映像が出てきた、おかしいな
と思ってその「もとねた」と聞き比べたらあらそっくり
この事実におどろいた批評家の告発がきっかけで、GramophoneMagazineで徹底検証大特集。

Masterpieces or Fakes The Joyce Hatto Scandal

あの驚異のショパン=ゴドフスキーは15%圧縮カルロ・グランテだって?なにいいい

詳しくは徹底検証実験をやったレコード会社のサイトをどうぞ。
おくちあんぐりですとも。
Pristine Classics: Joyce Hatto--The Ultimate Hoax

改めてこちらで比べて聴いてみたけど、確かに、圧縮を外した「ハットの演奏」は、もとねたそのまんま。リストの超絶技巧練習曲は野島稔とシモン・ラースローの寄せ集めだし、ブラームスはアシュケナージで、ラフマニノフはブロンフマン。
どうせやるならもっと手の込んだFakeをやってほしかった、という感じ。音色の調整をしてはいるけれど、同じ人が弾いてるという統一感がないもの。
ウチでは「指は回るけど特に特徴のないピアニストだねえ」って、一回聴いて物置行き決定になっていたけど。

今の録音技術だと、圧縮引き延ばし音色調整自由自在だとはいってもねえ…
ま、ブラック・ユーモアの好きなお国柄とはいえ
これはちょっとどんなもんでしょうね。

ハットは昨年癌で亡くなったのですが、一説には、このCD(ざっと100数十枚ほどある)、彼女の治療費かせぎのための企画だろうという説もあります。イギリスの医療事情残酷物語(NHSで受けられる医療と、さらに高いお金を払うと受けられるスペシャルな医療の格差が尋常でないとか…)もいろいろ在住の人から漏れ聞くところです。癌まわりはそりゃもう大変とか。そうだとすれば、ま、医療費を寄付したようなものと思えば…とも感じないでもないです。
ちなみにハットのCDを出していたレーベルは、ハットのご夫君が経営しているのだそうで、それも加味して考えれば、ある種の夫婦愛の物語になるのかもしれません。いまは老いて病床にあるおくさんの全盛期の演奏に似た人の演奏を慎重に選んで細工してCDにして売り出すなんて、なんだかアメリカのサイボーグ・フェミニズム入った短編小説にでもありそうですね。ピアノ短編小説のネタとして、この設定、かなりおもしろいねたなので、いつか書いてみたいかも。

ちなみに、ハットのCDを出していたレーベルから出ている「コルトーの録音」がぜんぜんコルトーぽくないという話も知られるところですが、夫の話では、「フィオレンティーノの初期録音」も、かなーりアヤシイらしいです。50年代や60年代のものにしては録音状態のデジタル感が強すぎるとか…。

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18. Februar 07

ヤン・ファーブル「わたしは血」

☆しばらくこの記事を一番上においておきます☆

「私たちは2007年に生きているのに、まだ中世を生きている。終わらない中世を生きる私たちの体内に、液体の肉体であるところの血が流れる。血は私たちの脈打つ祝福された生命。私たちは中世人になるために身体をきりきざむ。でも中世は終わったのだ、私たちはもはや中世には生きていない…」
というわけで、彩の国さいたま芸術劇場にヤン・ファーブルを見に行った。

ヤン・ファーブル、天才!!!
いやーおもしろかった!!
よく考えるとかなりグロい話なのだが、あっけからんとしたユーモアもあって爽快。ダンサーの鍛えられた身体と所作に無駄がないから、退廃的に見えない。腕もあらわな黒いドレスでコーデックスを頭にかぶり、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンのラテン語文を怪しげに妖艶に朗唱する語り手(魔女にも聖女にもみえる)と、エメラルド・グリーンの服の、漏斗をあたまにかぶった男女の外科医と、Butohの動きでくねくね踊ってすぱすぱ葉巻をふかして僧侶や兵士や乙女や外科医をからかう西洋赤ふんの愚者(おしりがキュート)が絶妙。武具をつけた兵士の踊りはなんとなくギュムノパイディア風なのだけれど、よく見るとすね当てが胴着にガーターで吊ってあって、黒のボクサーパンツのおしりが出ていて、後ろから見るとセクシーでキュート。騎士の装束の男がひとりフェンシングでうぉおとうなり声をあげながら悶絶している。
兵士が現代のフランスの大都市郊外の貧しい若者(うにくろのフリース様のフードのついたパーカーとズボンをはいている)にかわり、白衣の花嫁と僧侶に変身するあたりもかなり笑えた。なにしろ処女喪失の演出がすごい。フードをかぶった若者がぺたぺた女の子着替えのように身体を洗ってるのはなぜだろう、中世のぐろい肉体蔑視のせいかしら、と思っていたら、現代風のウェディングドレスをひらひら嬉しそうにふって「私の体内に新しい私ができる」とおぱんつをみせたらあらまあおばちゃんびっくりだわ、股に血糊をつけていたのだった。僧侶がチューバとエレキでギュイ~ン(これはローザスのある作品の引用なのかもしれない)、踊っているうちに裸に剥かれてオッパイポロリの女の子たちとおちんちんぶらんぶらんの裸の男たちがキャーキャー。女の子たち、てのひらについた血糊を裸の男どもにぺたぺたつけてはしゃいでる。うわー、2月14日付近に上演なんて、ルペルカリアからヴァレンテイノ祭とか、カーニヴァルそのものじゃないか。やるじゃんさいたま&カンパニー。愚者がやってきて、昏倒している野郎どもの股に胴着を貞操帯よろしくはめてしまうのだが、胴着の首が出る部分は開いているものだから、股は丸見えなのである。「私たちは際限なく飢え乾いている」「人間はまだ自分が猿ではないと思って暮らしている」のナレーションが爆笑モノ。でも、血抜きの儀式(血分けの儀式ではない)のところはもっと盛大にピューピューやってもいいんじゃないかと思った。陰鬱に血の気を抜かれてから、みんなでうぉぉぉんと狼の遠吠え(これはヨーゼフ・ボイスを思わせる)。裸の男女が乱舞するアヤシイ分派のサバトをあっけからんと健康的にたのしそうにやっている。もち、前ばりなし。語り手の女が血管の学名の朗唱と、歩みをとめるとストップモーション。ヒエロニムス・ボス風のスーパーリアリズムの美しさ。最後にテーブルを立てて68年革命のバリケードみたいにして、向こう側から身体を洗う血糊の入った水が出てくる。黒衣の語り手の女が、いかにも古めかしいコーデックスをぱたん。暗転。

中世のキリスト教世界のグログロしいフォーク・カトリシズムとか、ヒルデガルト(とドイツ神秘主義)とか、カトリックの典礼における聖餐の意義とか、中世の医療の話とか、そういうのに親しんでいる人なら三倍以上おいしいし、ダンスがよくわかる人なら5倍以上おいしいのだろう。「私たちは中世人になるためにからだを切り刻む」のテクストが凄絶だった。リストカットごすごす娘にもぜひ見てほしいぞ。猥雑だけれども、いやらしくなくて、かえって爽快、というのは、さすが。天井から何百枚何千枚のお皿がっしゃーん!の演出をしてしまうひとだものね。

もっとも、くそまじめな人には通じない世界ではあるかもしれないけど。
歴史畑思想史畑の知り合いたちがどう見るかはきいてみたいような気もした。まあ、あんまり期待はしてないけど。リアルな、なまぐさーい歴史こそほんとの歴史、とか言ってるやつにかぎって、こういうのには怒り出したりもするものだ。
アラン・ド・リベラの臭いたつような『中世知識人の肖像』が大丈夫な人なら、大丈夫。
(個人的には、リベラも天才だと思う…)
踊りはいいな…。あの、ピシッピシッと正確に所作が決まるのがすごい。
ともかく、ヤン・ファーブルのカンパニーが来たらまた見に行きたいと思った。

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